東京永久観光

【2019 輪廻転生】

ツイッター進化論(随時変異)

タイムラインが混雑しすぎると、ぱつぽつしかツイートしない人は見えなくて死んだのと同じになるのはよくない。たとえば、あろうことか円城塔さんのツイートなどがどんどん下に落ちて埋もれていたことがわかり、改めて辿り直すと、劇面ツイートの連続なので驚愕!

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ツイッターの140文字は高度で複雑なコミュニケーションだが楽しいとしか感じられず、現実社会の140文字も高度で複雑なコミュニケーションだが楽しいとばかりは感じられない。

指先だけで生きるか、口先だけで生きるか…

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「きょうはもう仕事終り!」ツイートをみんなで競うことにして、日本の長時間労働を牽制しようではないか。とはいえ「まだ仕事始めてない!」のが本日の大問題。

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ツイートの1つ1つには、それが何回表示されたかのデータが埋め込まれ、常に更新されているようだ。最近気づいて驚いた。本人なら即座にそれをチェックできる。

脳の神経細胞の1つ1つも、他の神経細胞からの入力がどれくらい集積されているかは、おそらく感知しているはずだ。そうした入力の頻度(=強度)の変化こそが、思考であり知識であり記憶のもととも言えるのだろうから。

しかし、ニューロンは他からの入力(リンク)や自らの出力(表示)を、ツイートのごとく「正確な数値」としてまで把握できるのか? まあ脳のことはぜんぜんわからないが、ツイッターとの類似で解明が進むかもしれないし、ツイッターも脳との類似を想像することでますます面白くなる。 いや〜、それにしても回数が刻々と変化していくのを眺めていると、ツイートはまるでひとつの生き物のようだ。神経細胞が生きているかのようだ。

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本や映画は区切り(1冊とか1本とか)がはっきりしていて始まりと終りもあるので、感想を持ったり書いたりしやすい。しかし日々の行動や思考はそうではない。だからツイッターやブログにはどうでもいい本や映画のことがよく出る。一方、生活の感想はまとめるきっかけがない。ヘタしたら一生ない。