思いついたことはツイッターにとりあえずだ〜っと打ち込み、あとで読み返してなるほどと感じたら、ささっと切り貼りしながらまとめ直してブログに残す、ということを、最近よくやっている。
これは、昼のあいだに知ったことを、睡眠中に脳が点検し、「なるほど」というものだけを長期の記憶に残す、ということと同等ではなかろうか。
この場合、ツイッターとブログは両方が必須だと感じる。
というのは、140字だけでいいからこそ、考えること(=書くこと)をスタートさせてしまえるし、しかも、考えたことをほぼ瞬時に目にして読み返せる。ブログだとそこまでの身軽さがないから、億劫になり、なかなか考えることが始まっていかないのだ。
じゃあツイッターだけでいいかというと、そうでもなくて、140字だけでは、多くの場合、一つのまとまった考えには至らない。ツイート5〜10個くらいが連続しないと不足。その全体を一望するにはブログが便利。
一定量の(140字×5〜10)考えをまとめるには、ブログの1エントリー単位が、ちょうどいいということだ。しかしそれだけではない。
ブログのエントリーは他のエントリーとのリンクが自在であることがきわめて便利だと私は感じる。さらには、日付という単位および一次元の流れのうえにあることがまた、自分の考えを探索したり確認したりするのに、きわめて便利なのだ。
というわけで、ツイッターが思考の道具なら、ブログは記憶の道具だろう。いや、ブログは記憶の道具というより、実感としては記憶そのものに近い。つまり、私の脳は私のブログとまさに共同作業しているみたいなのだ。
ホモ・サピエンスは進化する(そして怠惰になる)
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こうした話の参照本は、私の知るかぎり一冊しかない。
★記憶する道具/美崎薫
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ところで、睡眠中に、脳は、シナプスを強化するのではなく、むしろ弱化しているという説がある。日経サイエンス2013年11月号の記事。そのタイトル「眠りが刈り込む余計な記憶」のとおり、シナプスの不要な結合を弱化することで、有用な結合が相対的に強化されるというのだ。さらには脳の省エネにも役立つという。
同号の眠りに関する別の記事は、夢について考察している。《夢は単に覚醒時とは生化学的に異なる状態でなされる思考である》(D.バレット 編集部訳)。 だから、夢は奇妙でありナンセンスであって当然ということになる。論理性を欠き視覚が中心であることも通常の意識状態とは異なる。しかし、それゆえに夢は、覚醒時には思いもよらないアイディアや解決法を教えてくれるというのだ。