年をとると人の名前が出てこないのは笑えるほど当たり前になる。ところがふと気づいたが、概念を忘れることはあまりない。
「え〜っとなんだっけ、いろんな競技をまとめてやって、ほらあの、メダルがいくつとか日の丸がどうしたとか、そうそう、おもてなししないといけないやつ……」「オリンピック?」「そう、それそれ!」
――というようなことにはならないのは何故だ?
これは「脳のニューロンのネットワークは記憶をいかにして保つのか」という謎につながるのではないか。
さらには「固有名とは何か」「概念とは何か。たとえばオリンピックという語はオリンピックという概念の名前なのか」という謎にもつながるだろう。
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命題「フランスの現在の国王は地獄のミサワに似ている」は真か偽か、という謎にもつながりかねない。
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小学校の算数では「概念」を明白に説明している。ここから話がスタートできそうだ。
http://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/sansu/WebHelp/01/page1_02.html
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というわけで、見極めたいことは2つ。1つは「概念」を数学や分析哲学はどう定義・整理しているのか。
もう1つは、概念の記憶と想起にもクオリアが伴うようだという問題。もっと言えば、ある事項が「正しい」か「間違い」かを覚えておいたり思い出したりする時には、「正しい」または「間違い」それぞれの認知に伴って、それぞれに特異的なクオリアがなんらか生じていると、私は感じる。つまり私たちは、「正しい」か「間違い」かを、言語や思考に依らない回路によって最初に感知するのではないかということ。それは、私たちの脳において、前頭葉が危機を理解するのに先立って扁桃体が恐怖を感知すると言われるのと、同じようなことだろう。
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この話は以下に続く。
◎ http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20140513/p1
◎ http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20140525/p1