東京永久観光

【2019 輪廻転生】

世界はがんに満ちている


がんの花道/長尾和宏、藤野邦夫 
 がんの花道: 患者の「平穏生」を支える家族の力

という本を読んだ。長尾さんは多くのがん患者を在宅で看取るなどしている開業医。藤野さんはボランティアでがん患者をサポートしているそうだが、長尾さんに劣らずきわめて情報豊富で主張も明瞭。2人の対談本。

「がん終末期の延命治療は害でしかない」ということが強調されている。

親の終末期に長男が駆けつけてきて言う言葉はたいてい「俺は親不孝ばかりしてきたから、死ぬ前くらいはせめて最高の医療を」「延命治療はすべて受けさせたい」だという。

《その結果、現在の日本では、がん患者さんの約9割が病院で亡くなっています。そこでフルコースの延命治療が行われた結果、耐え難い苦しみに襲われて暴れられるので、最期は麻酔をかけて意識を無くしたまま亡くなっているのが現実です》

《終末期の人工栄養は、むしろ寿命を縮め、苦痛を増大させます》

《終末期に高濃度のブドウ糖栄養を補給するということは、がんにエサを与えていることと同じ》

《(多くの病院が延命治療に力を入れるため)、勤務医全員が一生、平穏死を見たことがない、という信じられない事態になってしまうのだと思います。私は初めて自然死を見るまで11年もかかりました》

さらにこう言う。《家族の一員ががんにかかることに、少しは肯定的な意味を見出だせるとすれば、家族が寄り添って病気と向かい合えることですね。それと、次第に覚悟がついてきます。そんな家族をみていると、がんにかかることは不運だけれど、不幸だとはかぎらないという気持ちになります。交通事故なんかで突然死したケースでは、残された家族はいつまでたっても不条理な思いを断ち切ることができませんから》

なお、かの近藤誠医師の主張は、同書は完全に否定している。近藤さんの本を信じると、がんの検査なんか受けたくないという怠惰で無謀な気持ちが正当化され、治せるがんも治せなくなってしまうのだ。このことを非常に重くみて警告している。これは私も同感だ。

なお最近、ニューズウィークも近藤医師の主張を紹介していた。いくらか中立的だった。
http://www.newsweekjapan.jp/magazine/115218.php


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がん予報・がん旅行

私が地震で死ぬ確率は2011年以降ぐっと高まった。とはいえ、そんな確率はもともとぐっと低いのであり、だからそれでも私はがんで死ぬ確率のほうがよほど高いだろう。そう考えれば、がんこそ他人事であるはずがない。だが本音を言えば、私は地震に鈍感でけっきょく他人事でしかないように、がんもまだまだ他人事だ。

ともあれ、がんは、数か月くらい前には死の予定が立つ。頭と体が最後までそこそこ元気でいられる。これらは本当に大きな救いだ。「死ぬなら がんがいい」とまで口から出そうになる。

死ぬ準備は年越しの準備に似ていると感じるようになった。「ああお世話になった人に年賀状書かなくちゃな」と。ただ毎年そう思いながら年賀状出さないのは、私の将来を暗示する。とはいえ年賀状に例えるなら、がんも12月に入ってから準備すればいい。私の場合まだ先か。今は、もちろん青い春も熱い夏も過ぎて、秋まっさかりの時期。実りの少ない秋だなあ。

この本は実用情報にも満ちている。特にへえと思ったのは、がんで入院する場合に何が必要か。ウェットティッシュアイマスク、耳栓、リップクリーム(病室の乾燥に備える)、健康保険証、診察券、専用ノートと筆記具などなど。しかもそれらをポーチやショルダーバックに入れておくと入院中の院内移動に便利らしい。また あまり大金は持たないこと。……海外旅行のあわただしい準備を思い出して笑ってしまった。入院診療計画書というスケジュール表まで渡されるそうで、まるで観光ツアーだ。人生最後の旅行か。

◎参考 → http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20111022/p1


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ル・アーブルの靴磨き/アキ・カウリスマキ

 ル・アーヴルの靴みがき 【Blu-ray】

ちょうど上記本を読んだ頃にDVD鑑賞した。

カティ・オウティネンも年をとり、劇中では胃の不調を訴える。自覚症状が出たら がんは手遅れなのだが、そこはカウリスマキ映画ゆえか、闘病は淡々としている。病室も簡素にして静寂。しかし夫は、アフリカからコンテナに隠れて渡仏した少年を助けるのに忙しく、入院した後の彼女は放っておかれたかのように しばらく登場しない。もはやカウリスマキ流の奇跡は起きないのか? そこも見どころ。

それにしても、久々に見たカウリスマキ映画だったが、特徴に磨きがかかっていた。

絵画のような人物のたたずまい。コントのような決まりきった人物の動き。「よ〜い スタート」の声が聞こえるよう。これらは北野武小津安二郎の映画を思わせる。そして画面には不用なものが何ひとつない。人物も背景も物も絶妙に配置されている。

とりわけ、カフェに座る主人公とか、カレーの海岸で食事をしている難民とか。構図がみごとにピタッと決まっていた。画面の色合いもとてもよかった。革のソファーの深い青緑とか。


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なお、がんだの死ぬだのと最近よく書いているが、ホントにがんになったわけではないので、ご心配ねぐ。