東京永久観光

【2019 輪廻転生】

★卑怯者の島/小林よしのり


 卑怯者の島: 戦後70年特別企画


私がこのさき戦争に行って殺したり殺されたりする可能性は非常に低い。がんや心血管病で死ぬ確率に比べてはるかに低いのはあまりにも明らかであるだけでなく、地震津波で死ぬ確率に比べたってそうとう低い。隕石に当たって死ぬくらいの低い確率だろう。

だからといって、戦争で死ぬことについて考えないわけではないし、考えることがナンセンスではまったくない。なぜなら、この現在ですら、信じがたいことではあるが、戦争で死ぬ人が当たり前のように大勢いるからだ。たんにそれが日本からはとても遠いために、無縁でいられるだけで。

しかし問題は、現在の日本の私が戦争からあまりにも遠ざかっているために、戦争について考えようとしても、参考になる材料がほとんどないことだ。もちろん、戦争を賛美する意見や資料も戦争を非難する意見や資料もたくさんあるけれど、やっぱり、いろいろ無理が多くウソも多いように感じられる。

そんななかで、この『卑怯者の島』だけは、はるかに遠いはずの戦争に、もし私が本当に直面したら、いったい「どうしたいだろうか」「どうすべきだろうか」と、実感をもって大真面目に考える材料になると、強く思った。

核心としては、題名でもある「逃げる卑怯がましか」、はたまた「死ぬ意地がましか」、といった究極の問いになろうか…。

たまたま戦争からもっとも遠い時代や遠い場所で、なんだかんだと実に長いあいだ生きてこられた幸運が、つくづくありがたく感じる。たまたま津波にも遭わず震度7のダブルパンチにも遭わずのんきにへらへら生きている幸運がつくづくありがたいのと、まったく同じだ。

映画『硫黄島からの手紙』が思い出された。あの映画も『卑怯者の島』とまったく同じく、玉砕したり自決したりせねばならなかった日本人たちを、この世の事象として比類なく比喩でもない地獄そのものとして、正確にしかも多彩に描いていた。
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そして、それに伴って、『硫黄島からの手紙』で、喉に刺さった骨のように気になって仕方なかったことは、投降して米兵に捉えられた日本兵の、なんとなく冴えない表情を、私はどのような感情で眺めてしまったか、という1点だ。そこの気になる喉のところを、『卑怯者の島』はグイグイ押してきた。

もちろん結論としては、過去の日本に「犬死」がありました、でいいのだろう。そして、現在の国々に「犬死」があります、でいいのだろう。

だけどそれは正しいけれど、もう1つ言っておきたいのは、そんなときは犬死を私も間違いなくするだろう、ということだ。犬死を、したくてするのか、せなばならなくてするのか、わからないけれど、どうせそんなことを選べるほど、選ばれた状況でも階層でもなくて、犬死するだろう。


◎『硫黄島からの手紙』をみたときの感想はこちら。
  http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20070605