こんな面白い歴史本はめったにないのではないか。
日本という国は「経済のグローバル化」と「政治の中央集権化」の2つをどうしてもやり抜けない。典型は江戸時代だが、源平の時代から明治維新、大戦、現在に至るまで、建設も破壊も常に ゆるい・ぬるいままだった。――そんな「なんだって !?」という視点で日本史を語り直す。
そして、書名では見当がつかないが、反対にグローバル化と中央集権化を早々と成し遂げたのが中国だというのだ。それは10世紀の宋。西欧よりずっと先んじていた。以後、中国と日本はまるで正反対の社会を維持してきたとみる。というわけで、同書のサブタイトルは『日中「文明衝突」一千年史』
著者は若いが正真正銘の歴史学者であり、独創的と思えるこの視点もプロの間では最近の常識だというから、また驚いてしまう。
ふだんは硬い文体の論文を書いているそうだが、この本はあえて平たい語り口を徹底している。その読み心地は快刀乱麻ともいうべきで、書き写していても楽しくてしかたない。しかもポイントは必ずゴチックにしてある(実はメモしなくていい)
さてさて、この本を読んでいて、ふと「これは批評なのだ」と気づいた。
つまり、源平合戦、江戸時代、明治維新、第二次大戦など個々の出来事は、小説や映画における個々の作品に当たる。それらの作品に接するとき、たいてい我々はありがちな凡々たる読み方や見方しかしない。しかし、ある日だれかが何らかの独創的な「視点」を探しだす。そしてそれらを当てはめる。するとびっくり、互いに無関係と思っていた数多くの作品が、予想外に共通の手法や思想や欠陥を有しているとわかる。こういう営みが批評と呼ばれてきたと思う。私が親しんだ範囲では、蓮實重彦の『小説から遠く離れて』や柄谷行人の『日本近代文学の起源』が思い出される。
この本で與那覇潤は、千年にわたる日本の通史を、中国化(グローバル化と中央集権化)という視点で貫き通し、個々の歴史エピソードを独自に分析し配置する。
あるいはもしや、歴史学とはそもそも批評をしているのだろうか?
もう1つ指摘しておきたいチャームポイント。著者は映画にも詳しいようで、歴史研究の文献だけでなく小津安二郎や宮崎駿の作品を折にふれて参照項として示している。日本映画が見たくなる。
*具体的な内容は追って記します。