低線量放射線の健康への影響を、科学が今の段階で明白に立証することは、どうやら難しいということだけを、私たちはいわば明白に知るようになった。
それ以上、科学にできることがまったくないわけではないだろう。しかしそれは私たちがあれこれ考えて予測できることではないだろう。
では私たちはこの問題について、あれこれ考えるのは無駄なのか?
無駄なのだとほぼ言い切りたい。
だが、考えることが無駄でない面もあると気がついた。
たとえば、私たちのなかに、「放射線の影響はみんなが思っているより小さいだろう」と思う人がいる理由や、「放射線の影響はみんなが思っているより大きいだろう」と思う人がいる理由については、考える余地があるし、考える意味がある。
もっと意地悪に言うと、「放射線の影響がみんなが思っているより小さいことが立証されたほうが、私は嬉しい。なぜなら、そうでなければ私の立つ瀬がないからだ」と思っている人や、反対に、「放射線の影響がみんなが思っているより大きいことが立証されたほうが、私は嬉しい。なぜなら、そうでなければ私の立つ瀬がないからだ」と思っている人は、いるだろう。
それらがなぜかということについては、私たちはあれこれ考えてみる余地があり意味もある。私はそう思う。