東京永久観光

【2019 輪廻転生】

言語のゆくえ2010 (3) ―ぬかるみへ


動物の知能システムが人間程度に高度であるなら、必ず言語に似た形式をもつ。

(もちろん仮説。また、ここでの言語は「シンボル性や文法性」といった機能や構造を備えていることが条件だととりあえず考える)

いくらなんでも言語を特別視しすぎ? では、以下の主張はどうだろう。

経済システムが高度であるなら、必ず貨幣に似た形式をもつ。

これはわりと当たっているのではないか。……しかし、考えは深まったのではなく、ただ横へ飛び移っただけか。

ではもし、貨幣がシンボル性や文法性をもったらどうなるのだろう? ――もっと多様な価値の交換や貯蓄ができるのかも。金持ちか貧乏かという1次元の尺度にとどまらず。

……というわけで、話は泥濘から別の泥濘へと はまりこんでいく。

あるいは、むしろ貨幣こそが、言語ほど高度だが言語とは異なるシステムの好例とみることもできるのか !? (言語と同等の別のなにかを探すときに、言語と一見同じものを探したら言語しか見つからないだろう。言語とは一見違うものを探さないといけないのだ)


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言語と貨幣の相似はときどき指摘されていると思う。

以下は過去エントリー
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20040910#p1
http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20090110#p1


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「言語と貨幣の近接」とか言ってみて、はてなスターを思い浮べる。世界の価値を金持ちが独占するように、ネットの言語価値を★で買い占めたっていいのではないか。

それにしても、ネット上の言語はこのところずっとハイパーインフレだ。