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【2019 輪廻転生】

白菜の将棋、ガールの数学


NHKに「世界ふれあい街歩き」という番組がある。だいぶ前のこと、中国の路地で暇つぶしに将棋を指している人が映ったのだが、おかしなことに、ちゃんとした駒がないので白菜の葉を小さく切って代用させている。負けた方のオジさんに、トマトを持って通りかかったオバさんが声をかける。「白菜なんかじゃだめよ。こんどはこれでやってみたら」

将棋は、駒の動くルールさえ決まれば、どんな駒でもまったく同じゲームができる。

ここには数学の正体がちらりとのぞいている気がする。我々はふだん数学の計算や証明を具体的な買い物や図形に当てはめて考えるが、数学の神髄とは抽象性にあるようであり、そこを正しく理解するには、数式や証明式から意味をむしろ抜き取ることが重要になる。

それは必ずしも難しくない。将棋などはいわばそうした抽象的なゲームだろう。たとえば香車が桂馬を取るとき、「え〜と槍は馬を突き刺せるのだから、香車の駒が直進して桂馬の駒を退かせてもいい」などといちいち考えたりはしない。「馬なのになぜ斜めに跳ねるんだろう」と首をかしげもしない。駒の動きには具体的な意味が伴わなくても全くかまわないのだ。動きさえはっきりしていれば、「飛車」と「角」の代わりに「助さん」「角さん」でもいい。「王将」は「鳩」でも「鷹」でも「小沢」でもよい。白菜の切れっ端でもよい。


以下の本を再読しながら改めて気づかされたのは、結局そうした核心だった。


数学ガール ゲーデル不完全性定理結城浩
数学ガール/ゲーデルの不完全性定理 (数学ガールシリーズ 3)


これは本当に素晴らしい本だ。過去に「数学の本質とはこれなのでは !?」と素人の私が目を開かされた本といえば、足立恒雄『無限の果てに何があるか』と遠山啓『無限と連続』(岩波新書)があるが、『数学ガール』を3冊目として加えたい。

不完全性定理って何の話なんだろう。それを真に理解するには、上に述べた「数学から意味を抜き取る」コツをしっかりとつかまねばならないと思われる。つまり、数式や証明から意味の解釈をあえて脱色させ、まったく抽象的な記号のままそれを操ることができるかどうか。――そう、まるでコンピュータがプログラムを実行するかのように。

不完全性定理も数学の形式化(意味を抜き取ること)も、薄々はわかっているのだが、うなずくまでには至らない。今回ももちろん完全な理解には遠いけれど、理解にたどり着けるルートはこれなんだという確信を、私はこの本でおそらく初めて得ることができた。それくらい丁寧な初歩の手順が書いてあると感じた。

その大切な中身をうまくまとめることはできない。そこで本筋からは離れるが、数学であれ何であれ実に見過ごされがちな「初歩の中の初歩」の注意が示されていたので、その1点をあえて引用しておく。


「ときどき《音楽がわからない》という人がいる。うまく言葉にできひんことをすべて《分からない》と片付ける人やな。音楽を、そのまま味わおうとしぃひん。言葉にできなくてもいいんや。言葉にならんから、音にしてるんやから。言葉にしたがる人は、音を聞いてへん。言葉を探してばかりで、演奏者が生み出した、かんじんの音を聞いてへん。音が響く時間を、音が広がる空間を、味わってへん。言葉探すな、耳をすませ! ……ということや」
「音を聞いてない?」と僕は言った。「それは、数学を学ぼうというのに、数式を読まないようなものかな」
「あっ! そうですね」とテトラちゃんも言った。「数式をきちんと読まないのは――数学者が作り出した世界を見ていないということですよね。数式をきちんと読まないで、自然言語に引きずられていたら、数学をやってない、ということでしょうか」
自然言語?」と僕が訊いた。
「あ、"natural languege" のことです」
「音楽と数学ってまったく違うのに、どこか似てる」と僕は言った。「演奏者が音を出しているんだから、きちんと音を聞こう。数学者が式を書いているんだから、きちんと式を読もう……と」
「音楽では音というコトバ、数学では式というコトバが大切なんですね」とテトラちゃんが言った。(引用ここまで p104~105)


というわけで、本もしっかり読もう。時として凄いことが書いてあるのだから。せっかく人が作った資料だってもっとちゃんと読んだらどうだ(…いやこれに具体的な意味はない、抽象的に操作せよ)


★無限の果てに何があるか/足立恒雄 asin:4334781500
  詳しくはこちら→http://www.mayq.net/mugennohate.html
★無限と連続/遠山啓 asin:4004160030(数学と将棋の関連については同書から学んだ)

数学ガール感想こちらにも→http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20100102/p1