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【2019 輪廻転生】

小説の王道?


少し前のNHK日曜討論』(8.17)で、秋葉原の無差別殺人についてディスカッションしているのをチラ見したところ、作家 平野啓一郎の話すことが、気負わず白けずしかし妥協せずといった感じで、この人の意見はもう少し聞いてみたいと思わせるものがあった。そんなことから、書店で見つけた最新長編『決壊』上下巻を、買って読むことにした。asin:410426007X

そうしたら、お盆に里帰りする話から始まっているので、へえと思った。

計8章のうち第3章まで読み終えたが、いかなる小説なのかを考えるとまだ全く分からず、帯にある「連続殺人を描く衝撃」にも至っていない。ただ適当な思いはいろいろわく。以下羅列。

○かつて高橋源一郎が平野と対談し、「これ、あんまり聞かれないと思うんですけど、書いてて楽しいですか?」といきなりつっこんだのが、なんとなく分かる気がする。http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20040915#p1

○さらにずっとむかし、蓮實重彦が平野の大作『葬送』を読んだ感想として、あまりにきっちり描写しているためにかえってそこに運動がない(主旨)みたいなことを語っていたのも、なんとなく思い出す。http://www.mayq.net/junky0302.html#19

○というのも、すべての登場人物のあらゆる行動を、べつにそこまで詳しくなくてもいいのではと、いぶかしくなるほど、丁寧に淡々と書いているように感じるので。

○しかしそれは平野啓一郎の余裕というものなのかなとも、勝手に思う。なぜなら、若くして書き上げた小説「日蝕」がいきなり文芸誌の巻頭を飾り芥川賞まで受け、まさに俊英として世に躍り出たので、自分の作品をひとに読んでもらうために、わざわざ珍奇なことをしたり意表を突いたりして目を引き名を売る必要など、最初から無縁の人であるのかもしれないから。

○それにしても、三人称小説なのだが、視点人物がけっこう揺れる。妻と幼子を連れて里帰りする平野と同世代くらいの男の語りだと思っていると、実家で彼らを迎えた母親の内面がふいに語られたりする。こういうのを神の視点の描き方というのかな。しかし、その母親はさらに自分の母親が高齢で死んだときの気持ちに思いをはせていて、30代の小説家なのにいくらなんでもどうなんだろうという気もしてくる。そうかと思えば、幼子当人の喘息で辛い気持ちもちらっと漏れる。

○19世紀の大小説というのを書いていた作家のポジションと、ちょっと近いものがあるのかなと思ったり。

○冒頭で里帰りするのはある兄弟の弟のほうで、その弟は結婚しているのだが、自分の妻と自分の兄との関係をちょっと疑っており、実際2人の関係はどうなんだと思わせるところもあるのは、夏目漱石の『行人』を思い出させる。あれは兄が弟と自分の妻の関係を疑っていた。

○《ここで今、流れ出した湯は、沙希の肉体が囲っている体積と正確に同じなんだと、彼は思った。その首から下と丁度同じだけ、失われた湯。……彼は、自分が今、現に肉体を以て触れ、圧迫している一塊の物の侵し難さと、それが引き替えられた湯のはかない余韻との間に連絡を探った。水捌けのいいFRPの床には、弾かれた湯の名残がうっすらと広がって、その表面張力の膨らみの中で、体温のように温められた熱を俄に失ってゆきつつあった。》 これはその兄のほうが数多くの恋人の一人を自室に招き、一緒に風呂に入っている長いシーンの一節。なんというか、こういうところではちょっと本を投げ飛ばしたくなる読者もいるのではないだろうか。

○いろいろからかっているみたいに受け取られるかもしれないが、ともあれ基本的に大まじめな小説なんだろうと期待して、私も結局大まじめに読んでいるので、何が起こっても何が起こらなくても有意義な気持ちだ。

○とりあえずここまで。