東京永久観光

【2019 輪廻転生】

韓国映画『子猫をお願い』(チョン・ジェウン監督)


躍動感

まだ高校の制服姿の5人が港湾の空き地を連れ立って歩き、思うまま大声で歌ったり、河口の景色をバックに写真を撮ろうと大はしゃぎしている冒頭シーン。そうして社会に出た数ヶ月後、パブにまた勢ぞろいした5人は、まさに盛りの若さを全開にして弾ける。その一夜。おしゃべりは限りなくやかましく限りなく楽しそう。

そんな仲良し娘たち。日本で言えば「箸が転んでもおかしい年ごろ」か。しかしそれは得てしてほんの一瞬で過ぎ去ってしまう。その切なくも輝かんばかりの躍動感をみごとに切り取ったところが、まずはこの映画の魅力なのだと思う。

彼女たちが電車やバスに乗る場面が目立つのもこの映画の特徴。そのときの動きがまたいずれも心地よい。特に中盤、またもや久しぶりにつるみ今度は地元インチョン(仁川)からソウルまで出掛けることにした日。ぴゅーぴゅーと冷たい風に向かって5人は歩き、やってきた路線バスに乗り込む。そのままバスの後部へと移動する5人をカメラは窓越しに追い、座りかけるとバスは動きだし去っていく。うつろう風景はインチョン界隈の工場地帯から大都市ソウルの夜へ。これら一連のシーンは、ジム・オルークっぽいBGMとともにかすかなスローで見せられる。とても好いかんじだ。


登場人物とストーリー

この女子5人組はインチョンの商業高校を卒業したばかり。

イ・ヨウォン演じるヘジュ。ソウルの証券会社にコネをすがって入社し上昇を夢みている。若さと愛らしさを武器に精いっぱい明るく振るまうが、雑務のみに追われる一般職のストレスやアホらしさは相当なもので、おまけに両親の離婚という憂き目に遭う。でもめげない。コンタクトレンズが面倒だからと近視をレーザー手術であっさり直し、次は鼻や眼の整形も考えている。

ペ・ドゥナ演じるテヒ。韓国の家父長制とはこういうものかと見本を見せられた気がする一家の一人娘。父親は子供たちを旧弊な価値観で仕切る。それにうんざりの彼女は、ボランティア(身体障碍の詩人のサポート)にいそしんだり、国際船でどこかに行きたいと考えたり、まさに自分探しの日々。ただし、仕事に就かずとも父親の経営するサウナを手伝うだけで恵まれた生活はできている。

オク・ジヨン演じるジヨン。テヒと対照的に両親がなく祖父母と貧しく暮らしている。天井が今にも崩れてきそうなボロ家だ。そんな彼女に世間はあまりにも厳しい。リストラで仕事をなくし、新たに面接を受けてもその育ちゆえに冷たくされる。インチョン空港の食堂にやっと職を見つけるが、いつも金がない。テキスタイルデザインが上手で本当はその勉強をしたいのに。

これら3人は現代によくあるキャラクターやバックグラウンドの人物像として設定されたと思われる。残る2人だけはちょいとトリッキーで、中国系の双子姉妹。仁川にあるチャイナタウンに住み、道ばたでアクセサリーを売るなどして自活しているようだ。

ストーリーとすれば、彼女らがそれぞれ直面した社会や家族との軋轢にもがきながら、生きる術や生きる路を模索してゆく話と言えるだろう。そんななか、制服のときは肩を組んで歩くほどだったヘジュとジヨンが境遇の違いからやや深刻な仲違いに至ってしまう。負けん気が強いヘジュ。無口だが頑固なジヨン。5人の連絡係をしているテヒは間に立ってやきもきしている。ここからネタばれ→ そのうちに決定的な災難が降りかかる。ジヨンの貸家が本当に崩壊してしまい祖父母もともに死んでしまうのだ。しかもジヨンは、おそらく自らの人生へのあまりの仕打ちに絶望したのだろう、ひと言も口を聞かない状態になってしまい、それがもとで警察から疑われ少年院に送られてしまう。このことがジヨンにはもちろんだがテヒにも大きな転機となり、最終的にこの2人はインチョンの空港から海外に飛び出すことを決意する。


リアリティとは固有性や事実性?

こうした青春の夢や友情、その挫折や成長という話は、考えてみれば映画や小説のテーマとして幾度も繰り返されていると思われる。それなのに、この映画はなぜ、ありきたりであるより、きわめて新鮮に感じられたのだろう。

よく分からないのだが、そこに映し出された固有性や事実性こそが命なのではないか。なんとなくそんなことを思った。

そもそも映画を見る私たちは青春一般というようなものに触れることはない。この映画もヘジュやテヒやジヨンという特定の人物を描いている。世界中に無数にあるであろう青春群像のたった一つだ。だからこの映画で私は、現在というたまたま巡りあった時代に、韓国というたまたま実在する国とインチョンというたまたま実在する町で、たまたま生まれ育ったこの5人という、固有性や事実性に支えられた出来事をしみじみ眺めることになる。しかし、そうした特定のリアリティを通してこそ、むしろ、多くの国の多くの青春に共通する普遍的な光と影に初めて触れられるように思うのだ。

繰り返すが、大事なのはそこに映し出されたことの固有性や事実性なのだ。初めてみるような人物や風景や出来事がきっとそうでしかないのだろうというリアルさを伝えてくるとき、私たちは強く興味をひかれ普遍的に感動する。

(まあそう考えると、誰の青春にも当然ながら固有性や事実性はある。それが時代や地域や流行に左右され客観的には実につまらない思い込みやこだわりに満ちていたとしても、それはそれでかけがえのない固有の事実だ。そこはこの映画の5人だってべつにレベルが高いわけではない。そうすると、その固有性や事実性を詳しく伝えようとしたならば、またそれを詳しく掴もうとしたならば、いかなる人のいかなる青春もけっこう感動的なのかもしれない。)


韓国映画はなぜ面白い?

この映画がなぜ新鮮なのかという問いにもう一つ答えておくなら、やっぱりこれが私にとって外国映画だから、とりわけ韓国映画だからということはあるだろう。

へ〜韓国ってそうなのか! え〜韓国ってどうなんだ? という細かい驚きがいろいろ出てくる。

ギョーザがこの映画では大事な役回りをする。それをばくばく食べることになるペ・ドゥナの演技も見物だ(トッポキの食べ方も実にうまそう)。さてその韓国のギョウザだが、映画をみるかぎりせいろで蒸している。肉まんみたいなのだ。でも字幕は「ギョーザ」だった。ギョーザは本場中国では水餃子だし日本では油で焼くわけだが、韓国はそのどちらとも違うのか。(メタホミドスは大丈夫か)

日本とまったく同じく彼女たちには携帯がとにかく必須。店でジヨンが「番号を変えず機種変更を」と告げたりもする。携帯でメールもするのだが、アルファベット入力しハングル変換するようだ。そのとき絵文字も使っている。メールの絵文字は日韓同時発生だったのだろうか、それとも日本由来なのだろうか。

ヘジュが会社で使っているパソコンには仲良し5人のプリクラ写真が貼ってある。しかもピースサインしている。写真のピースサインは万国共通だっけ?

たとえば初めて北海道や九州を旅行してそこにプリクラがあったとしても、それは日本のあらゆる都市でさして変わらないだろうから、なんの不思議もない。ところが韓国の場合、日本と似たものがあふれているにも関わらず、その事象が始まった起源や広まった経路がよく分からないので、気になって仕方ないのだ。さらに韓国を超えて周辺の国の文化や習慣へも興味はうつろう。プリクラや携帯をめぐる事情は、韓国だけでなく中国や台湾やあるいはシンガポールやタイではどうなっているのだろうと。若者がこれほど命がけで携帯メールする国はどれくらいあるのだろう。日本と韓国がその程度において似てしまうのだとしたら、それはいったい何故なのだろう。

5人が集まった酒の席では「一気飲み」が始まる。一気飲みってどこでもやるのか? ちなみにテヒは煙草もけっこう吸う。

韓国では日本と同じ年齢で高校を卒業するようで、それから1年足らずの時期だから5人は未成年だと思っていた。ところがテヒは「私は成人です」とある場面で言っている。ちょいと調べてみたところ、韓国は数え年らしい。だから高3で迎える正月に20歳になる人が多いということになる。でも誕生祝いはするようで、最初に出てくる飲み会はヘジュの誕生パーティーを兼ねていた。(ネタバレ→ でもジヨンは少年院に行った。日本でいう早生まれということか? でもあの時点では20歳を超えているはずだが。不明)

テヒは家出するとき、家業のサウナ店で1年無給で働いた分だからと父親の金を盗んでいく。1万ウォン札の束を新聞紙に包む。ざっと300枚くらいに見えた。1万ウォンは今だと1100円程度。だから全部で30万円余りということになる。1年間の給料としては安すぎないか。そんなものなのか。しかし昨今のソウルの物価高を思うと、あっという間になくなりそうで忍びない。

ペ・ドゥナ」は「BAE DOO NA」と画面に表記されている。韓国語話者にとって「P」と「B」の違いはたしか日本語の「ぺ」と「べ」の違いには一致しないのだったか。ともあれ、韓国人名のローマ字表記はいつも我々にはなかなか意表をつく。ちなみにミャンマービルマ)のことを彼女たちは「ポーマ」と呼んでいた。それと、漢字はこの映画でもこのあいだのソウル旅行でも本当に目にしなかった。

韓国へのこうした興味の底にあるのは、何度か書いているが、都市の風景や交通機関などにしても家電や生活雑貨やコンビニのお菓子などの物品にしても、アイテムとしては日本と韓国で生き写しのごとく似ていながら、そのブランド(メーカー名)はことごとく日本とは異なっているということがある。似ているから、そして似ているけど同一ではないから、比較したくなるのだ。これがたとえばウズベキスタンサマルカンドに行ったのであれば、都市の建物や人々の服装や持ち物を、そもそも日本の何と比較していいのか分からない。

日本と韓国を互いにパラレルワールドと呼びたくなる所以がここにある。似ているからこそ違いが際立つのだ。そして、日本がこうでなくてもよかった可能性、すなわち日本の生活や慣習のオルタナティブを、空想でも理想でもなく現実の国として目にすることになるから、韓国は面白いのだ。韓国の映画や旅行は面白いのだ。

ここまでを言い換えると、この映画のなかでは韓国の固有性や事実性というものが私にはこんなふうに現れてきました、ということにもなる。


インチョン(仁川)について

では映画においてその固有性や事実性が最もダイナミックに現れるのは何か。それはやはりロケーションということになるだろう。

この映画ではもちろんインチョンやソウルだ。

5人はフィクションとしての存在だが、インチョンはべつにこの映画のために作られたわけではない。だから、インチョンという町がもともと持っていた固有性や事実性は、映画のストーリーや5人の設定や女優らの演技を超えて、映画の中に否応なく映し出されることになる。それが映画の面白いところでもあると思う。町中でカメラを回せばその時のその場所は間違いなく写し取られて記録される。スクリーンに映っているものはみな本当にそこにあったのだ。そして当たり前だが、あらゆるものは必ずなんらかの歴史的な背景や経緯によってそうなりそこにある。

だからというわけでもないが、今年の正月ソウルに行ったとき、インチョンまでなんとなく足を伸ばしてみた。

インチョンにはソウルの地下鉄がそのまま郊外列車となって乗り入れている。各停も快速もある。映画の最初でヘジュが通勤に使っていた電車だ。私はそれにソウル駅から乗り込んだ。軌道が日本より広いので車内は大きい。都会のソウルそのもののこぎれいな雰囲気で、それがインチョンまで延長されているといったところ。

列車の終点がインチョン駅。改札を出ると目の前に中華街の門が見えたのでそこに歩いていった。レストランが並んでいる。路地を入ると普通の住宅も多い。双子の2人が祖父母の家を訪ねたのもこの辺りだろうか。中華街の背後に小高い山があり、そこに登る。インチョンが漢江の河口に開かれた港町だということがここで分かる。映画の冒頭、港湾風景の後方にいくつか小山が見え隠れするが、そのどれかに登ったのかもしれない。

とにかく寒さと地理の不案内から漠然と歩くほかなかった。本当は、ジオンが祖父母と住んでいた場所にいちばん行ってみたかった。界隈のシーンとして、高速道路かなにかの高架下に廃線らしい線路が曲がって延びている雑然とした様子が何度か映し出される。ジオンの家はその近くで、同じような古い家がいくつも入り組んだところにある。イラン映画『友だちのうちはどこ』にあった迷路みたいな路地だ。映画を見直すとプクソン町というらしく、テヒはそこまでバスで行っている。しかし私がそんな場所を探してたどりつくのは最初から無理だと思っていた。埠頭や国際フェリーが着くような所も見てみたかったのだが、断念した。映画の陰の主役ともいうべき青色の路線バスだけはよく見かけた。

ちなみに韓国の新しい玄関たるインチョン国際空港は、遠く海を隔てた小島に位置している。ジオンはそこの食堂で働くことになるわけだが、新空港へは交通が不便だからねえと近所のおばさんに同情されている。私もインチョン空港から入国してソウルに向かったのだが、周辺は果てなる荒れ地という印象だった。晴れがましいグローバル化もあまり地元の利得を意味しない。先行き不安なジオンの頭上をジェット機はただ通り過ぎる。

そもそもインチョンは空より先に海の港としての歴史が長い。開国させられて新政府になったばかりの日本がこんどは李氏朝鮮を開国させた日朝修好条規(1876年)で、日本の要求によって83年に開かれたのがインチョン港だったという。これによって朝鮮半島における日本と清国の利権も真正面から衝突することになる。当時インチョンでは中国租界と日本租界が道一本隔てて接していたそうで、その旧日本街の跡が現在も中華街にぴったり接して残っている。植民地風の銀行などの建物がいくつかあり、ちょっとした観光スポットのようだった。

さて、中華街から登った小高い丘の一番奥の場所には、銅像が一つ偉そうに建っている。誰かと思えばかのマッカーサーだった。1950年に始まった朝鮮戦争で韓国側の起死回生となった仁川上陸作戦。この奇襲を敢行したのがこの人だったのだ。インチョンとはそうした歴史が刻まれた土地ということになる。『ブラザーフッド』に描かれた激しい戦闘シーンなどもちょっと思い出した。

インチョン駅のひとつ手前が東インチョン駅で、そこまでだらだらと歩いた。こちらのほうが繁華街。ヘジュが改札を通ったのもこの駅だと思われる。しかしこの日は元旦でやはり人はほとんどいない。マクドナルドに入って体を温め、夕暮れのころふたたび列車に乗ってソウルに戻った。


政治性

固有性とか事実性とか述べてきた。ではその町やその人の固有性や事実性はいかにして形成されたのだろうか。これまた当たり前の答しか言えないのだが、自然や風土のほかには結局、その人や町が属している国の歴史が反映されて、ということになるだろう。固有性や事実性とはつまり政治性ということなのかもしれない。

要するに。ヘジュやジヨンやテヒが仕事や金に恵まれているかどうかの差は、彼女らの高校までの努力や成績の差というより、ほぼ完全に生まれた家の差による。それと同じく、たとえば彼女たちが使う携帯電話と私が使う携帯電話が違うのは、生まれた国の違いによって選択が限定されるからだ。私が徴兵されて軍隊に行ったりしなくてよかったのも、私が韓国でなくたまたま日本に生まれたからに過ぎない。ペ・ドゥナはけっこう日本びいきらしくDVDの付録インタビューでも「ディズニーランドに行きたい」とか言っているが、彼女は韓国人だから日本まで来ないとディズニーランドには行けないのだ。ジヨンがあの界隈で潰れそうな家に住んでいることにもまた、なにかそうなる歴史の必然はあったのだろう。

映画のなかで、テヒはワーキングホリデイって知ってるかとジヨンに聞く。オーストラリアに行くと仕事を紹介してもらえて英語の勉強もできるらしいよと。「ワーキングホリデイ」の発音は日本とあまり変わらない。やりたいことがはっきりしない若者がその言葉に抱く憧れも日本と似ているのだろう。しかしワーキングホリデイという制度は国際関係の反映でもあり、すべての国の人がすべての国でワーホリできるわけではむろんない。テヒはたまたま新しい時代の韓国に生まれたからオーストラアを選択できる。たまたま北朝鮮に生まれていれば当然不可能だろう。ではそのオーストラリアが日本や韓国から来た者を本当に両手を広げて迎えてくれるのかというと、そこにもまた国と国の関係が影響するような気がする。最近オーストラリアは捕鯨の一件があってジャパニーズにはやや冷たいかもしれない。ちなみにイラクで首を斬られて殺された香田証生さんも、最初はオーストラリアにワーキングホリデーで入国した。が、思ったほど仕事が得られず金もなくなってイラクへ向かったとも言われている。同じく自分探し系のテヒが同じくワーキングホリデイを望んで出かけていったとして、オースラリアはコリアンであるテヒにどこまで優しくしてくれるのだろうか。なんだか同類的な心配をしてしまうのだった。

そして私は日本国発行の旅券を所持している。テヒが大切そうに手にする旅券はもちろん韓国の旅券だ。どちらも魔法のランプのようでその効力はけっこう異なる。その差は私やテヒがいくら頑張ってもどうなるものでもない。そうしたことが、個人が海外のどこをどう回ろうかという計画の固有性や事実性をも決定してしまう。むかし(1996年)モンゴルを旅行したときビザが面倒だったのだが、同じ宿にポーランドから来たという若者グループがいて、彼らはモンゴルと同じ旧ソ連圏なのでモンゴルはビザなしで旅行できて楽なのですと話していた。へ〜えと思った。東西統合から間もない時期で、ポーランドも最近は英語志向が強いがそれまで外国語といったらロシア語ばかりを学ばされましたとも言う。ポーランドのその若者が帯びていた日本の私とは異なるそうした固有性や事実性も、ひとえに政治や歴史の結果だ。そういえばモンゴルも当時はまだ英語よりロシア語が得意な人のほうが多かった。

人がそれぞれ生まれた家と家はちっともフラットではない。人がたまたま生まれた国家と国家もまたあまりにもフラットではないのだ。

5人がソウルに行くために待ち合わせた埠頭の広場で、テヒは遠くの方にいて、ミャンマーから来たという若者3人を連れてくる。テヒがこの人たちとも一緒に遊ぼうよと言うと、ヘジュはあきれた顔をする。「工場労働者と遊ぶの?」と。「東南アジアの男にモテモテだこと」とさらに冷やかす(日本語字幕:根本理恵)。私がインチョンに行った郊外列車にもこの映画の3人かと思うような顔つきの若い男性が座っていた。私は暇つぶしの観光でここに乗っていて、彼らは仕事や生活のために動いているのだろう。そうした私と彼らの固有性と事実性の違いもまた、互いがたまたま生まれた国の差、それをめぐる国際的な政治や経済の差がすべてなのだ。

現在のソウルは私からみて東京とおそろしく変わらないのだが、ごく最近まで韓国の政治情勢は日本とはかなり様相が違っていたことも事実だ。たとえば民主化運動の国民を国軍が殺戮した光州事件は1980年。1983年には大韓航空機がソ連軍に撃墜されたりもした。だいたい韓国が北朝鮮とともに国連加盟できたのは、ソウル五輪成功の後、1991年になってやっとのことだったのだ。

ペ・ドゥナは1979年生まれというが、こうした韓国現代史をいくばくかは実感できるのだろうか。インタビューではまったく屈託がなく「私は現実に対して まったく不満はないわ」「毎日 幸せだと実感して暮らしてる」と、平和ボケと言われる日本の若者みたいな弁だったが。

しかし今回映画のDVDを見直し、冒頭シーンで女子高校生5人が口ずさむ歌がどうも軍歌みたいであることがふと気になった。「戦友の死体を踏み越えて 前へ前へと突き進め!」と声をそろえて100%楽しそうに歌うのだ。さらに「洛東江よ さらば 我らは前進する」と続く。そこでためしに洛東江をネットで調べてみたところ、どうやら朝鮮戦争のまさに仁川上陸作戦で北朝鮮軍を蹴散らした場所であるらしいということが分かった。(追記2.23:洛東江が仁川のそばを流れているわけではない。詳しい事実はどうかご確認のほど)

連れだって港を見に行き歌を歌い写真を撮るのは、どこの国の若者にもありふれた青春だろう。しかし、あそこで彼女らが他でもないあの歌を屈託なく歌うのは、韓国の仁川の高校を卒業したこの5人にしかない固有性であり事実性だ。そこにはやっぱり歴史や政治が無意識のうちに反映されているのだ。


旅と国籍

さて私が韓国を旅したように、テヒとジヨンも海外を旅するのだろうか。

その旅立ちは、2人がその約束をする時点ではまだ未来の話だった。空港でフライトの表示板を眺めているラストシーンの2人は夏服なので、あれから半年くらい経過しジヨンも少年院から出て晴れて旅立ったということなのだろう。そうするとそれまでテヒはどこで暮らしていたのだろう。虎の子の10000ウォン札は尽きなかったのか。それともあのラストシーンは未来の夢想を描いたということなのかもしれない。

ともあれこの映画では、テヒがスーツケースに本やら懐中電灯やら英語辞書やらをパスポートとともに詰め込む。そしてジヨンを誘って旅人になる。そんなところに私はどうしても親近感を禁じ得なかった。よその国を歩きつつ、同様の旅をする別の外国人にも直面し競合する日々へと思いをはせざるを得なかった。

90年代にはもう日本からアジアに来るバックパッカーはうじゃうじゃいた。それ以外はほとんどが欧米人で、彼らとの関係性やコミュニケーションは旅行における一つのテーマだった。しかしいつしか韓国からのバックパッカーを目にするようにもなっていく。

日本のバックパッカーは欧米人と肩を並べてアジアを自由な金で遊び回れることが既得権のようで内心誇らしくも感じていたと思う。ところがそこに日本以外のアジア系バックパッカーとして韓国のバックパッカーが意表をつくように現れた。彼らに対し「なんだ新参者」といった気分もつい生じていたように思う。それはたぶん日本のバックパッカーが欧米のバックパッカーから「なんだ新参者の日本人が生意気な」と内心感じられていたかもしれないのと同じ構図だろう。韓国のバックパッカーもどこか肩肘はった印象があり、互いにあまり親密になろうとはしなかった。まあなんというかすべてが愚かだったとも言えるのだが、ともあれ、今度海外旅行でテヒみたいな韓国の若者と出会ったら、少なくとも日本の若者に対するのと同じくらいか、もうちょっとそれ以上の新鮮な興味を向けてみたいものだ。

韓国のバックパッカーそして日本のバックパッカーは、やがてはタイやマレーシアといった新興国からのバックパッカーにも出会うことだろう。そのとき我々はどんなふうに彼らを見つめるのか。あるいは、ミャンマーの人が韓国の人に交じって世界を自由に旅行できるようになったとき、それは一体いつか分からないが、テヒそしてヘジュはそれぞれどんな目で彼らを見ることになるのだろう。

たとえば台湾には日本を好む人が多いという。韓国や中国ではそういうふうだとは聞かない。それにはいろいろ訳があるのだろうが、それもまた韓国や中国の固有性や事実性であり、興味深い。ただ、日本の我々としては、台湾や韓国の人がもつ日本への視線というのは分かりかねる部分がある。というのも、日本にとっては自国より先に金持ちになった他のアジアの国は存在しない。だから、そうした同じアジアで自らより先を行った国に対する気持ちというのを、なかなか想像しがたいからだ。日本より先に金持ちになった欧米先進国(アメリカ、イギリス、フランスなど)への憧れやなにくそという気持ちなら、日本の私にもあるのだが、そうした気持ちを同じアジアの他国に対しては向けたことがないのだ。

まあ、何が言いたいか。オーベーなんて今やタカアンドトシのジョークにしかならないようで、実は微妙な劣等意識は消えないのであり、だから、ニッポンジン(私)よ、オーベーなんかに負けるなよ、カンコクジン(テヒ)よ、オーベーなんかに負けるなよ、とエールを送りたいのである。


結局

知らない国の知らない人が作ったたかが1本の映画をめぐって、こんなにたくさん考えたくさん書くのだから、私自身がよく知っている国の私自身がよく知っている私や私の周囲の人についても、私はもっとたくさん考えもっとたくさん書いてもいいような気がする。いや、私しか知らない人のことをそんなに書いても他の人が読む価値はないだろうと言われるかもしれない。まあそうかもしれない。しかし、だとしたら、テヒやヘジュやジヨンのことも赤の他人の私にはどうでもいいことになってしまうのだが。


補足

子猫がなにしろタイトルになっているのであり、物語の展開にも猫は欠かせず何度も出てくるし、しかもなにか大切なことの象徴になっているかもしれないのに、ここではついに触れずじまいになってしまった。それくらい他に書きたいことが多かったということだ。いやまあとにかくたくさん書いた(お疲れさま)。なお、この映画は公開時に劇場でみており、今回はDVDでみなおしたのを機に書いた。


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子猫をお願い ASIN:B0006OFLKY
◎友だちのうちはどこ ASIN:B00005NS2S
ブラザーフッド ASIN:B0001A7CZK
◎関連過去記事→http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20071221#p1