東京永久観光

【2019 輪廻転生】

ムニエルはフランス語、グエムルは韓国語


ポン・ジュノ監督『グエムル 漢江の怪物』をDVDでみた。asin:B000JJ5G06

考えてみれば、ニューヨークもパリも行ったことがないのだが、ニューヨークもパリも映画では知っている。というか、日本の我々はアメリカのことなんて映画とニュースによって知り過ぎていると言ってもいいだろう。一方ソウルは、私は短く訪れたことがもう3度もあって街を体験している。ところが、ソウルが映画に出てくるという体験にはまだ慣れていないアメリカという国がスクリーンに映し出されることは当たり前すぎてなんの驚きにもならないのに比べ、みごとに正反対だ。だいいち私がソウルを訪れた88年、96年、99年には、まだこの「韓国のスピルバーグ」も頭角を現していない。だからその頃は、いわば映画でも見たことのない街に驚き呆れながら歩いていたということになる。私にとってソウルは「観光が先、映画が後」だったのだ。

よくもまあ、こんなすぐそばにあって、ごくふつうの意味でまたたくさんの意味で執拗に似ていて、歴史的にも関わりが深すぎるこの国を、その国の首都について、その国の映画について、よくもまあ、これほど何も知らずにいた期間が、あまりにも長過ぎたことよ! 

88年(ソウル五輪の年)だったか96年だったか、私はソウルの住宅街でレンタルビデオ屋を見つけ、「へ〜韓国にもあるんだ」と感心し、ところがそこで探してみるべきたった1本の映画を知らず、たった1人の監督や役者の顔も知らず、おまけに「日本の映画は何かあるの?」なんて親しげに聞いてしまったりした。当時はまだ日本の映画や音楽は韓国で一般視聴などされていないのであり、そんな当然のことを私はちゃんと認識もしていなかったのだ。

やっぱりヨン様のおかげなんだろうか。もし「冬ソナ」ブームが無かったら、渋谷TSUTAYAでも韓流がこれだけの面積を占めるには、いまだ至っていなかった可能性もある。いや、今でも私は韓国映画の監督や役者の名前を知らない。ポン・ジュノを探すつもりでホ・ジノのジャケットを手にしていたり。ましてポン・ジュノかボン・ジュノかなんてどっちでもいいのではあるまいか。しかしこれがフランス映画なら、ジャン・リュック・ゴダールジャン・ジャック・ベネックスリュック・ベッソンも間違いなくすらすら出てくるのだから、まあ不公平だ。グエムルという単語も何度書いても覚えられない。

ともあれ、この『グエムル 漢江の怪物』は目を皿のようにして眺めるに値する一作だ。日本よりいくぶん激しい韓国家族の結束とか葬式での嘆き方とか、日本なみに偉そうな警察の態度とか、こっちは日本から輸入したのだろうか火炎瓶の作り方、などまあいろいろ面白い。なんでアーチェリーなんだろうとか。たぶん日本の田舎の新設高校がアーチェリー部にやけに力を入れるようなもので、韓国のインターナショナル性というより根のない無国籍性(日本と同じなのだが)を匂わせて、興味深い。

かつて「漢江の奇跡」と称されたその川と、のちにノ・テウが選ばれたその88年の大統領選挙では民主化運動の象徴のようにして日本のニュースにも映し出されたヨイド(漢江の中州)の、現代の姿。改めて映画に映し出される。

ソン・ガンホペ・ドゥナが出る。同監督の『殺人の追憶』や『ほえる犬は噛まない』で出ていた他の顔ぶれもあって懐かしい。そう、私にも韓国はだんだん他所の国ではなくなってきた。そう思えることがとても嬉しい。向こうがこっちをどう思ってるかは知らないが、私は韓国と友達になりたいのだ。

観光旅行も映画鑑賞も時には目を皿のようにして行うにかぎる。「お前はそれで韓国を理解したつもりなのか」。いや理解したつもりはない。だがしかし、たいして知り合いもいない他国のことを、観光や映画以外でいったい我々はいかにして実感すればよいのだ。教えてくれ。


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●『グエムル 漢江の怪物』は偽日記が絶賛している(07/11/14)
 http://www008.upp.so-net.ne.jp/wildlife/nisenikki.html


●過去の韓国考
 「韓国を知る、日本を知る」http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20031116#p1
 「ソウルでわしも考えた」http://www.mayq.net/seoul.html


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そういえば、先日は大久保コリアンタウンで友人と鍋を食べたのだった。この界隈はソウルがソウル以上に濃縮されているのではあるまいか。ちなみに正月はまたもやたった3日だがソウルに遊びにいく。