東京永久観光

【2019 輪廻転生】

準備の彼方に


講談社文芸文庫というのがあって、捨て置けない文学作品は新旧問わず有名無名問わず「永久保存いたしましょう」と言いたげに集めている。海外小説もあるが日本の秀作が目立つ気がする。「はてな」キーワードにあるとおり、値段が高いのが特徴なのだが、巻末の解説や著者の年譜がきっちりしているのが吉(ということを前も書いた気がする)。さて、もう一昨年になるようだが、この講談社文芸文庫に『虹の彼方に』が収録された。高橋源一郎の小説としては『さようなら、ギャングたち』『ジョン・レノン対火星人』に次ぐもので、デビュー以来の長編3冊がこれで同文庫にそろったことになる。

でその巻末だが、最初に『さようなら、ギャングたち』が同文庫に入ったのは1997年のようで、今度の高橋源一郎の年譜は当然2006年まで増えている。この間の小説や対談も相当重要なものばかりに思われる。『さようなら、ギャングたち』って何ぞや? と10年も20年も読者が考えていたりすると、生きている作家のほうは、もうそんなことにはこだわらないよ、というわけでは決してないものの、とにかく新しい言葉を新しい文章を見境なく紡いでいることだけは確かだ。

でふと気になったのが、デビュー以前の生い立ちや20代の彷徨の記述まで、2006年の年譜のほうが2000年のに比べて増えているんじゃないか! ということだった。講談社文芸文庫『さようなら、ギャングたち』は本棚にあったはずが、なくなっているので、思い違いかもしれない。(私がもし永久保存の小説として10冊、いや5冊を挙げたとしても絶対入るような作品であり、実際に高橋源一郎の本だけは捨てないようにと、長い人生なので一度ならず何度か決意し実行もしてきたのに、まあ文学とは人生とはそんなものよ。何事も流れていくのだった)

ところで、講談社文芸文庫『虹の彼方に』の、巻末ではなく本編のほうはどうだったのかと言われると、ちゃんと丁寧に読み通したのである。本当はその話を書くべきなのだ。そのためにこの短文も書き出した。でもそれについてはなかなか。だいたい『虹の彼方に』という小説こそが、何かを完全に語るために完全な準備から始めようとしてその準備のためにまた完全な準備が必要になり、その準備の準備のためにもまた完全な準備が・・・といった本当の近道を探すための永遠の遠回りに思えなくもない。「それらの準備を」。

「いったいこれは何ですか」という疑問がグルグルとわきまくるのは、何年たっても同じ。今回すっかり読み通しても巻末の作家自身の解説を読んでも、そこはやっぱり変わらない。ただその問い自体が楽しいと思えるようになったのは事実だ。こういう創作物が存在していることに、こういう文章を読んでみることに慣れたということもある。だから今回はいよいよ中身に集中できたようにも思っている。そしてこの小説が、この作家とこの登場人物たちが、どうしてこのようにならざるを得なかったのか、そのことが全体としても部分としてもけっこう切実に共感できた気もしている。たとえば音楽でも大昔の人は不協和音っぽい複雑なコードを心地よい響きとしては聴けなかったみたいな話があるが、それと似ているか。そんなヘンテコな響きこそを人はいつしか面白いと思うようになるものなのだ。現代美術の作品鑑賞にもそんなところがある。

そんなわけで、講談社文芸文庫は年譜が詳しいというのが本日の趣旨になってしまった。それでまたハタと思う。他人の年譜はともかく自分の年譜はどうなんだと。これほどの小説を自分が書くようなことはあり得ないとしても、年譜であれば自分自身なのだから少なくともこの程度には詳しいものをいつか作成できなければ寂しい。そうでなくちゃ生きている甲斐がない。でも実際、あなたは自分の生い立ちを年譜にしたことはありますか。どこまで詳しく正しく記述できますか。


 *


講談社文芸文庫『さようなら、ギャングたち』 asin:4061975625
講談社文芸文庫ジョン・レノン対火星人asin:4061983652
講談社文芸文庫『虹の彼方に』 asin:4061984594


◎むかし講談社文芸文庫『さようなら、ギャングたち』の解説を読んで。http://www.mayq.net/takagen1.html

◎こちらは『ジョン・レノン対火星人』について。まだ絶版だったころ。http://www.mayq.net/kaseijin.html