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【2019 輪廻転生】

そんなに嫌か


東京都教育委員会は03年度から都立高の卒業式などで日の丸・君が代の扱いを厳格化し命令に従わない教職員を処罰するようになった。これをNHK『クローズアップ現代』が報じたのに対し、都教委が「極めて遺憾」と申し入れたという。

申し入れの文書が都教委のサイトにある。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/buka/soumu/nhk.htm
厳しい措置にはやむをえない理由があって、それを掘り下げてくれるというから取材に応じたのに、全然そうなっていない、と文句をつけている。

この番組、たまたま見ていた。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2005/0503-5.html
最後に横山教育長自らが中継先のカメラに登場し、スタジオの国谷キャスターの質問に直接答えた。予め収録して編集したもののようだったが、それでも「よく出てきたなあ」と感心した。ところが、そこまで押しつける理由は何かというまさに核心の問いには、「指導要領にあるんですよ。そしてその指導要領は法に基づくんですよ」(私の記憶による)と繰り返すばかりだった。腰が砕けた。

なんだあなたは、文科省が「そうしろ」と言うから「かしこまりました」と応じるだけかいと。国や法はそれほど揺るぎないものかいと。ちなみに、学習指導要領には、《入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする》と、せいぜいそれくらいしか書かれていない。

というわけで、申し入れ文にある《なぜ、適正化を図らなければならなかったか》は、たしかに番組ではまったく分からなかった。だから都教委にすれば「もっとちゃんとした背景や目的があるのに…」と言いたいのだろう。では、そのもっとちゃんとした背景や目的とは、どういうものなのだろう。

都教委のサイトには、件の通達「入学式及び卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について」が掲載されている。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/press/pr031023s.htm
《国旗は、式典会場の舞台壇上正面に掲揚する》《教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する》《校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを、教職員に周知すること》などなど実に細かく定められている。

しかしそれが「なぜ」かということになると、これといった説明はサイトにはない。ただ、都教委の主要施策を関係者に説明したという「教育施策連絡会」(04年度)の広報があった。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/buka/soumu/h16_sesaku/index.htm
ここで横山教育長はどう述べていたかというと――

《入学式・卒業式において国旗を掲揚し国歌を斉唱することは、各教育委員からお話がありましたので詳細については省きますが、都教育委員会の認識としては、イデオロギーの問題ではなく、適正な教育課程を実施するか否か、この一点にあります。学習指導要領に基づく適正な教育課程の一つの実施であるという視点から指導を行なっているところです。》

…またもや学習指導要領であった。けっきょくインタビューと同じ。またもや腰砕け。

とはいうものの、この「教育施策連絡会」のページからは、日の丸・君が代への並々ならぬ熱意とそれが蔑ろにされる悔しさだけは、ありありと伝わってくる。

《サッカーオリンピック予選の試合で、国歌の合唱がスタジアムを揺るがす大合唱になった。あの時の言葉に尽くせない連帯感が大事なことである。国旗・国歌が、国家や民族に帰属せざるを得ない人間社会の中で、自分たちが何に対して最終的に責任を持つか、何によって恩恵を受けているかを考え、個人対他者、個人対社会のかかわりを正確にとらえていくためのきっかけとなる。》(石原知事)

《…社会的な、例えば卒業式や入学式といった子供たちの門出を祝う、或いは入学という心踊る時に、主催者の一員である教員が、不都合な行為をもって式の意義を阻止するならば大変嘆かわしく残念なことです。》(清水委員長)

《(新聞の)いくつかの論説の中には、私にはどうしても理解できないものがありました。物の考え方の根っこのところには、人間の情緒という論理的には判断ができないものがあり、これがいわゆる「心の根っこ」というものですが、この心の根っこが私とは違うということを感じた訳です。》(鳥海委員)

彼らの信念たるや学習指導要領がどうのこうのといった生易しいものではないのだ。そして、これは私の想像だが、「あまりにも言うことを聞かない教師どもいるから、ここまで強制と処罰をせなばならんのだ、そこをわかってくれ」というのが本音ではないだろうか。

なおこの「教育施策連絡会」に対しては、東京都教職員組合は当然のことながら激しく非難していた。
http://www.tokyouso.jp/seimei/2004/040401.htm


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この一件に対するブログ上の反応をまとめたサイトがある。
http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20050329#p1
私は「どちらかというと肯定的」でも「わりあい否定的」でもなく、都教委のやり方にははっきり反対だが、まあそれはそれとして、この対立には、我々もふくめて、「立とうとしないから、なにがなんでも立たせる」「立たせようとするから、なにがなんでも立たない」といった不毛な循環があるようにも見える。


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この件で1年前に書いたこと。
仰げば尊し我が師の怨」http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20040330
…というか、なにがなんでも一言言いたいのは、私のほう?