東京永久観光

【2019 輪廻転生】

★私的所有論/立岩真也

https://www.amazon.co.jp/dp/4326601175

 

天皇制になにがしかの可能性を託してみてもバチは当らないと感じる程度には、今さらではあるが、共産主義にもなにがしかの可能性を託してみてもバチは当らないと感じる昨今である。

立岩真也『私的所有論』を読みながら、そんなことを考えた。——といっても、この本自体は共産主義社会主義を目指しているわけではまったくない。むしろ明瞭にダメ出ししている(念のため)

この本はまず、財を個人が持つことの無根拠さについて述べる。ただひたすら。

同書の主張をどう受けとめればいいか、迷う。私はなんだかいちいちうなずいてしまったのだが、そうなる人が周囲にはめったにいないようにも思われるからだ。またそれ以上に、私的所有が著しく制限された社会というものが、今はあまりに想像しにくく無理そうであるからだ。そして考えがそこに立ち往生する。そうすると、私的所有の制度を「捨てる」なんてやっぱりどこか根本的におかしいのでは、と疑いたくなる。(私的所有の制度を「捨てない」なんてやっぱりどこか根本的におかしいのでは、と疑いたくなるのと同時に)。根本的にわからない。ただ、私的所有の制度がもっと壊れたほうが、単に我々個人にとってそれぞれ得か損かなら、計算すれば分かるのかもしれない。年金がいくらもらえるか社会保険事務所に聞けば分かる程度には。

ベーシックインカムという発想があるようだ。国民ひとりひとりに対して国が最低限の財を無条件で提供するといったもの。それは所得の基礎になるとともに経済の基礎にもなるだろう。そして、私的所有という概念が幻想であるとした場合に、その幻想性に気づくことがあるとしたら、このベーシックインカムの可能性を探ってみることが、目下のところかなり現実的なルートではないか。

(しかし私的所有というテーマは、財産はほんの入口であって、実際はもっと幅広い応用倫理学の本である)

なおこの本は、財の所有だけに関心があるのではない。身体の所有そして身体の使用についても、同じ次元と真剣さで考え抜いている。人工妊娠中絶や、臓器移植、代理母による出産などをめぐるなんともいえない感覚について、見きわめようとし考える原理を確立しようとするのだ。このとき通常は避けたくなる徹底した空想をあえて行うことに意義があるとしている。たとえば、一人の人を殺し、その臓器で二人の人が生かすなら、そちらのほうが有益と考えるのが、なぜいけないのかなど。だから、いわゆる応用倫理学めぐって、本当に満足がいくだけの考察につきあわされることになる。

要約ブックレットを出してほしい。そうすれば、この問題に関心のある一般人が、この考察をもっと生かせる。このままではなかなか難しい。同じことを『責任と正義』(北田暁大)でも思った。そういえばどちらも勁草書房。どちらも重量と価格がそろってヘビー。