東京永久観光

【2019 輪廻転生】

軽挙妄動(お買いもの)


きのうはドン・キホーテでちょいと買い物。ふだんコンビニばかりなので、あの品目・品数の猛烈な勢いには相変わらず圧倒される。ただ生鮮食品だけは扱わないようだ。野菜とか肉とか魚とか(卵はあったけど)。つまり、箱であれ瓶であれ袋であれ工場経由で規格どおり詰めてそのまま大量に運搬できてそのままストックできることが、安い価格に欠かせないのだろう(まあドンキに限ったことでもないのか…)。

それにしてもドンキに来るたびつくづく思う。生活の何から何までこんなところで買い物カゴに入れてレジに並んでいる皆さん、貧乏くさいですよと。そうして一緒になって商品の山をまさぐり、空いたレジを競って探している私。すべて不況が悪いのか。いや、たとえバブルの頃だって、金額が馬鹿デカかっただけでガツガツ、ケチケチしていたのは同じだったな。血眼になって物を買うというのはなんだか一貫して「さもしい」。なんだろうか、これは。パッケージ化された生産・流通・消費に対する抵抗感、というのもたしかにあるだろう。そのようなさもしく安っぽいパッケージによって部屋や人生がどんどん埋もれていくようで気が滅入る、と。かといって、じゃあ理想は何かと考えるに、大自然とともに自給自足のスローライフ、といった「健全さ(!)」を私が持ちあわせているわけもない。どちらかといえば、都市の片隅で地味なホテルにでも住みついて何でもかんでもルームサービスにお任せ、といった日常に憧れる。ある意味、清貧? いや、要するにただ買い物がひたすら面倒で鬱陶しいというだけの話。 

音楽のネット販売は、ヤフーが参入して日本でもいよいよ普及するのだろうか(マックユーザーはまたもや無視されたけど)。これはいわば産地直送かつデータの計り売りであって、CDというパッケージの要らないところが、今や潔くて煩わしくなくていい感じ。考えてみれば、ネットや通信販売の買い物というのはみな、店舗という無闇にかさばったパッケージをうまく回避したとも言える。ただその代わり、パソコンやインターネットにまつわる規格や手順のかさばりこそがむしろ気になって嫌だ、という感覚のほうが、今はまだ多数派かもしれないが。でも、生活感覚なんてものはあっさり変わるから、ネット販売も、コンビニやドンキと同じくまるきり「暮らしに根ざした」習慣になるにちがいない。

しかし、そもそもこの世の物品のことごとくは(会社すら)、価格や市場というパッケージによって完全にくるまれているとも言える。こちらのパッケージばかりは剥がせないだけでなく、剥がそうと思いたつ人すらいない。それでいいのか! …という妄想にくるまれて、思わず火をつける。