東京永久観光

【2019 輪廻転生】

途中を抜けない人間の原理


文章でも旅行でも料理でも、先の見通しが立たずまったく出来そうになくても、始めてしまったらあっけなく最後まで出来た、ということを何度も経験する。これは、文章も旅行も料理も「途中を抜くということが原理的に不可能」だからではないかと気づく。まだ暗いうちからすごいことに気づいた。

途中を抜くことが原理的に不可能なのは、文章も旅行も料理もリニアだからだ。一次の線状だからだ(一時の戦場?)。同時に2つのことはできないししなくていい(料理はコンロと電子レンジを同時に使えたりするので少し違うか)。しかも出来上がった成果物も(文章も旅程も)やはりリニア(一次の線)だ。

何ごともプロセスが1本線で途中のジャンプもできないのは、人間が時間という(通常の感覚では)たった1本のしかも一方向でジャンプも出来ない、そんな軸に沿ってしか生きられないからではないか。言い換えれば、そうした時間という軸に人間の体は縛られるから、ということではないか。

そうすると、基本コンピュータであり人間のような身体を持たない人工知能は、文章はどう書くのだろう? ということが気になる。あるいは人間のように旅行を楽しんだり苦しんだりはできるのか?

それと、人間は、文章も旅行も料理も、やりながら「これだこれだ」というクオリアの手応えに従って進めていけることも、決定的に重要だ。しかもこれは、アルゴリズムというより「こうしたら……そうかこうなるか……じゃあ次はこうか」とヒューリスティックな手順であることも、決定的に重要だ。

……と今回も、このように、あまり見通しの立たなかったツイートがどうにか最後までつながった! 将来の人工知能もこんなふうに出たとこ勝負のふらふら一本道にように思考しツイートするのだろうか?


もう補足(登山でいえば下山、旅行でいえば帰路)だが、パーコレーションという概念がある。フィルターに置いたコーヒーの粉にお湯を注いで、コーヒーが抽出されるためには、お湯が注いた上の1点から、したたり落ちる下の1点まで、つながる必要がある。ジャンプしていてはつながらない(当然)

大長編小説も交響曲も世界一周旅行も、パーコレーションできてこそ達成となる。小説で途中3ページほど途切れているとか、楽曲で第1楽章と第2楽章を同時に聴くとか、世界一周したけどミャンマーからインドまではルートが存在しないとか、そういうのは人間世界ではありえない。

人工知能なら、小説や交響曲や世界旅行を、もうちょっと一挙に楽しんだり評価したりできるのかもしれない。


さてここで、図らずもまた山に登るが(さっきは頂上だと思ったが、まだ高いところがあった、やれやれ、みたいな) このあいだのクローズアップ現代「広がる“読書ゼロ”」で、立花隆は次のようにコメントしている。

(今の若い人たちの閲覧するスピードが速くなり、1秒間で判断できるというが?)でも、それはそうでしょ。例えば、本を広げて、あるいは新聞広げて、この記事をちゃんと読むか、あるいはさっと目を通すだけにするか、その判断っていうのは、恐らく1秒以下っていうかね、それぐらいでやってるはず)

 ◎ http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3592_all.html

いやまさにここにこそ「現代ネット三昧人間知能の驚くべき秘密」が横たわっていると、私は思う。さっきまで言っていたことを一度ひっくりかえすわけだが、人間は必ずしも律儀にリニアに世界と触れ合っているわけではない、ということも明らかに言えるのだ。


さっきのクローズアップ現代に関連し、過去ブログから。

「それはもはや、ひとつひとつの言葉が形成していく緻密な意味のネットワークを正確に写し取るといった「言葉の読み方」ではない。そのような「頭のはたらき」ではない。

パーコレーションは、ともあれ最初の1滴を落とさなければ始まらないし、ひたひたとコーヒーのしずくがつながっていかなければならないが、もう1つ忘れてはならないのは、最後までつながって「終わらなければならない」(そうしなければコーヒーカップにコーヒーは落ちない)ということ!

さて長大な本も最終ページが必ずある。人生も終わらなければならない。だから人工知能には人生というものが存在しないのかもしれない。人工知能は世界そのものや神に似ているが、人間は世界そのものや神にはまったく似ていないということ。かくしてツイートも終わる(パーコレーション!)