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溝口健二『近松物語』を初めて視聴(アマプラ)。確信をもって感動。「これぞ映画、これぞ溝口」と言っていいだろうという確信をもって感動。
視聴したのは、映画の真っ直ぐな論考と思える『他なる映画と 1』(濱口竜介)に出てきたからだ。ゆえに なおさら確信的に感動。
『他なる映画と 1』は、映画が何しろ目の前にある俳優や光景を事実としてまるごと記録し再生してしまう、さらにそれに加え、その背後にはそこに映るわけにはいかないカメラという事実の物体がまた制約として潜んでいる、そんなことを決定的に確信させて、比類のない一冊だと思う。
しかもこの本は、ありがたいことに、その例として多数の素晴らしいシーンを、コマ撮りの写真とともに紹介している。私が大好きな過去の映画もいろいろ出てきた。そして第三回で満を持して出てきたのが『近松物語』だった。
『近松物語』。どのシーンもまるで絵画のようではないか! アップ少なめ、中ぐらいのサイズが主で、その構図がもう完璧に思えてならない。奥行きも左右の眺めもその絶妙な角度も。映画を見る楽しさって単純にこれなんじゃないかと、何度も言いたくなる。そして不義密通、近松的な哀しきドラマ!
古い白黒映画(1954年)で画質も粗いかんじだが、むしろそのなかで、長谷川一夫や香山美子が動き出し、激し、嘆く、その動画は、まるでAIが造った絵画や写真の中で、ふいに人物が動き出したかのようで、なんともいえない初めてのような驚きを運んできた。