ディスク鑑賞。
みかけはごく写実的な物語であり映像であると思えるのに、なんかとんでもない予想外のことが起こりそうで、ずっとぞわぞわしながら見ていた。なんでだろう? 以前の『ハッピーアワー』(同監督)の後遺症だろうか? よくわからない。
たとえば、ある男が、招かれた家で初めて会った女性から舞台で演じたときのビデオを見せられて、いきなり容赦のない演劇論的な非難が始まるとか、そういうのが、やっぱり『ハッピーアワー』の驚きに似ていたということはある。
それともう1つ。知り合いだった男友達の家を、数年後に訪問すると、快活だったその友達がALSを発症していて声も出せず動きもできない状態になっていたとか。これなんかもなんの説明も理由もないようで、ちょっと引くほどドキドキしてしまった。
しかしやっぱりそれら以上に、そもそもドッペルゲンガーの話だからそれ自体現実にはありえないはずなのに、それでも役者たちはホラーでもファンタジーでもなくふるまいそれに応じ見るほうも平然として眺めざるをえないことに、どうしてもぞわぞわするのだろうか? よくわからない。
主たる展開は、考えてみれば、当然ありえる一本道と言ってよい。つまり、過去の恋人がふいに現れる、その恋人に連れされる、現在の恋人を捨てる、しかし再び過去の恋人と別れる、そして再び現在の恋人のところに戻る。
ただし、それをめぐって当然ありえる問い(彼女はどうすべきだったのか。彼はどうすればよかったのか。どうするのが善いのかなど)が深められることはなく、最後まで、答えが示されたようには感じられない。そんなことから、全体が夢を見ているようなふわふわした体験だったとも私は思う。
一人二役の東出昌大が、最初の恋人の役のときだけでなく、次の恋人の役のときも、どちらも、地に足の付かないふわっとしたかんじを与えてくるのが、この映画で最も印象的だったかもしれない。『桐島、部活やめるってよ』でもそんなふわっとした感じだったから、その心地良い地が生かされているのかも。
ドッペルゲンガーは「自分自身の姿を自分で見る幻覚の一種」ということなので、この映画はそれには当たらないか。https://kotobank.jp/word/%E3%83%89%E3%83%83%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC-157342
そういえば、黒沢清『ドッペルゲンガー』も、ぞわぞわするけど結局よくわからない映画だった。しかし、『ドッペルゲンガー』は材料や調理がまったく不明のフルコース料理を食べているようだったのに対し、『寝ても覚めても』は何の変哲もない素うどんなのになぜかその中を泳いでいるような感じ。