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【2019 輪廻転生】

安保法制をめぐるつぶやき回顧



注意:以下をたどるにつけ安保法制に賛成なのか反対なのかわからなくてイライラするのは、私自身も同じ。


<9月19日>

シリア難民のことをNHKが解説している。これを見ていると、安保法制の成立によって、国際社会は、日本という特殊な駒を得たというより、どちらかといえば、日本という特殊な駒を失ったと、言うべきなのだという気がしてきた。昨夜までの安倍政権の浅はかさ(私の浅はかさ)が今さら悔やまれる。

国際社会においては、国ごとの多様性こそ有効なのだと感じた次第。日本というけっこう変わった国が、他の大国や強国のクローンに近づくのは、あまりに惜しい。

将棋には、飛車や角もあれば、金や銀もあるが、桂馬という変な動きをする駒もある。トランプのナポレオンには「セイムツー」などという弱そうで負けない手もある。


<9月18日>

自衛隊にこれ以上戦場に近づいてほしくない理由は、「世界的にも例のないノンキ生活ができる日本国民の既得権をなんとしても維持したいから」という本音だけではないのだけれど、その本音がまるきり無いかのような顔をする人を、なかなか理解しがたい。

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日本が安倍晋三の思いどおりになるなんて、そりゃまっぴらだけど、べつにそれほどのことが起こった気はしないのは、私が甘いのか?


<9月17日>

夜更有理!

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「安保法案は悪だよ」と固く信じていた者が、「安保法案は善かも」と考え直してみると、長年びっしりと並んでいた黒い駒が、あれよあれよと裏返ってすべて白い駒になる。まさしくオセロ。#深読みをせよ

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これは「エンライテンド」と「レジスタンス」の戦いなんだと思って楽しむくらいが関の山。雨降りの国会中継

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今回のことは、賛成の論理がなかなか暴力的なら、反対の論理もなかなか暴力的だと、私は正直思う。とはいえ、本当の暴力(戦争)がなくならない現実のほうが遥かに遥かに絶望的なので、日本の与党にも日本の野党にもさほど絶望しなくていい。私の生活にも私の思想にもさほど絶望しなくていい。


<8月31日>

思想的よっぱらい。左にふらふら、右にふらふら。そのほうがましということもある。

しかし、ポエムのような運動、ポエムのような思想は、そのほうがましというようなことは断じてない。ポエムのような労働が最悪なのと同じ。

ポエムのようだった戦争の歴史もまた同じ。


<8月26日>

日本がアメリカの言いなりになるのはおかしいという感覚は、日本だけが軍を持てないのはおかしいという感覚と、結局一致するだろう。しかしそこをあえて、「日本がアメリカの言いなりになるのは良くないが、日本だけが軍を持てないのは良い」というアクロバットをしたい人もいる。私もそうなのか?


<8月20日

《銃声、群衆が陸自包囲 撃てば戦闘…サマワ駐留隊員恐怖》(朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASH8C4VLCH8CUTFK00F.html) とはいえ、「だから安保関連法案は無用」なのか、「だから安保関連法案は有用」なのか、判断を迫られる。


<8月15日>

きわめて慇懃無礼、これが始末書ならば。http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html内閣総理大臣談話)

とはいえ。子どもが犯した重罪について親が謝罪するのは当たり前だと日本国民の多くは感じると思うが、国が過去に行った戦争について現在の首相が無条件に謝罪するのを当たり前と感じるかどうかは、別問題なのかもしれない。

そもそも国が戦争を行ったことについて謝罪するという例が他にはなかったはずなので、そのことがあるから日本国民の気持ちはとにかく複雑なのだろう。

そんななかで、原爆や空襲で身近な人を殺された大勢の日本人は、アメリカの大統領がとりたてて謝罪はしていないことについて、本当はどう感じたらいいのだろう?

で、そういうことを考えたうえで、私がもし、先の戦争で身近な人を日本のせいで殺された中国人であるならば、「日本を永久に許さない」「安部首相の談話は生ぬるい」と感じるのはじつに当たり前だろうと、これはマジに思う。

「永久に」とは実際には「私が生きているかぎり永久に」ということになろう。つまり「70年くらい」とか「100年くらい」とかいう意味だ。人ひとりは200年や300年は生きない。かといって、20年や30年しか生きないのではない。

主張の方向は右往左往するが:日本の戦争だけは犯罪だったという理屈は、これこれだけが差別であるという理屈や、この裁判ではこの判例を踏まえろという理屈に似ていて、ちょっと変だなと思ってもめったに動かせない理屈なのだろう。憲法がちょっと変だと思ってもめったに動かせないのも同じ。

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私は、戦争を知らないけど、コミケも知らないのだった!(40周年とか)。いったいいつの日本だけを生きてきたのか…


<8月9日>

黒木和雄『TOMORROW 明日』のDVDをみた。長崎に原爆が落ちる前日、市井の人々それぞれの日常を追う。今から思えば戦時の不自由にして窮乏きわまる生活。それでも、希望も喜びも驚きも、誰もが十分に大切にしながら、そして明日も明後日もそれが続くことを思いながら過ごす、夏の1日。

戦後70年とはあまりに長くて凄いわけだが、私など、その7分の5くらいは実際に生きてしまったわけで、そっちのほうが凄え〜と言うしかない。国民が耐え忍んだ戦争、そしてこのように繰り返し思い出し、悲しみ怒り嘆き懐かしんできたあの戦争は、戦争を知らない私にも自分の歴史だと確信する。

そんななかでできてきた「戦争はまっぴらだ」という思いは、理屈を超えた情念というしかない。このまえ、安倍晋三の安保法制にかける思いは情念なのだという話を聞いたばかりだが、あのような歴史は懲り懲りだという思いから発する点で、どちらも似たような情念なのかもしれない。

というわけで、安保法制をゴリ押しする安倍晋三の動機について、ただの情念であんなことするなんて「馬鹿だ」と私は言いたいわけだが、同じく、安保法制に反対する私の動機もまた、理屈というより情念であるわけだから、私もまた「馬鹿だ」と言うしかない。

情念をいったん脇におき、安保法制の是非を冷静に分析すべきときなのだが、せいぜい100年足らずの歴史しか生きない個人にとって、強烈な情念が理屈を支えたり引っ張ったりするのもまた普遍の道理。

冷静に考えれば、日本国は、もうすこし戦争をしやすくすべきか、もうすこし戦争をしにくくすべきか、という理屈の議論を安保法案に関してコツコツ積み上げたほうがよいのだろう。軍隊を持ってこそ平和が来るとか、反対に、軍隊を捨ててこそ平和が来るとか、どちらも情念がもたらすだけの信仰だ。

しかしもう一度言うが、そう長く生きない個人にとって70年というのは永遠のごとく長い。その70年が特殊な国の特殊な歴史だったとしても、固い精神性を形作るには十分だった。そうして特殊な情念をかかえた国民が出来上がった。この事実以上に重いものはなかろう。私にとっても、夏は西瓜、蝉の声、敗戦だ。

それにしても『TOMORROW 明日』は『美しい夏キリシマ』(訂正)と並んで捨てがたい映画だ。黒木監督は70年代には『祭りの準備』『竜馬暗殺』という同時代性の濃い青春の映画を作っていたわけだが、後年になって戦時を回想するような映画を相次いで作った。その思いをもう少し知りたい。


<7月16日>

安部首相は「国民は最初いつもわからないんですよ、後からあれでよかったと気づくんですよ」みたいなことを国会で言ったそうだ(昨日)。「民主制はとうとう死んだ」という感じだが、考えてみれば「とうの昔から死んでいた」とも言えるし「民主制でないほうがマシ」という意見が間違いとも言えない。

だから、どうせなら、手続きのこと以上に中身(安保法制や平和憲法の是非)のことを考えたほうがいいだろう。これで終りではなく、将来まだ先に行くだろうし、後に戻ることができないとも言えないのだから。


<7月2日>
◎外交工学・国債工学のすすめ
 http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20150703/p1


<6月27日>
◎情念のクーデター
 http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20150626/p1


<6月20日
◎国境なき用心棒
 http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20150620/p1


<6月18日>
◎よその国の軍隊
 http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20150618/p1


<6月11日>
◎粘る、生きる
 http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20150611/p1


<5月28日>
存立危機事態と重要影響事態は本日の仕事をめぐって到来しつつある(国会中継視聴中)


<5月24日>
◎変態的に険しい壁と本当に信頼できるハーケン
 http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20150524/p1


<5月3日>
◎瓢箪から第9条?
 http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20150503/p1


<3月25日>
◎福島について/沖縄について
 http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20150325/p1


<2月20日
◎どっちが現実的か? 
 http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20150220/p1