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【2019 輪廻転生】

依存症、ツイッター、人の心

覚醒剤がないならツイッター見てればいいじゃない」

「はい、やってます」


体には生存や生殖という明白な目標があるけれど、心にはそれがないのではないか。覚醒剤ツイッターも煙草もパチンコも心の領域。信仰やテロも?

芸術や哲学もだと思われる。人間の心は、進化的(生存と生殖)にたまたま役立った部分があるにせよ、そもそも進化的には役立たない性質のほうが大きいのではないか。

「心は死んでいいよ」と言っているのではない。どう生きたいのが常にわからなくなり、死んでもいいとすら考えてしまうのは、心があるからこそだから、仕方ないじゃないか、と言いたい。

そして今日の私も、心がなければとっとと仕事を始めている。

体が体の目標から外れることを病気と呼ぶ。心が体の目標から外れることも病気と呼ぶ。そして、体を体の目標に合わせることや、心を体の目標に合わせることが、治療と呼ばれるのだろう。

心がそもそも目標をもたないものだとしたら、その心が病気であるのか健康であるのかの区分けは、そもそもできない。

あるいは、「なんか楽しいね」とか「気持ちいい」とか「幸せだな」といった情緒・感情・気分を、心はだいたい目標にしている、とは言えるのだろうか?

心の目標がそれくらい単純なら、ドパミンとかセロトニンとかオキシトシンとか、なんかそういうものの単純な仕掛けに、少なくとも還元はできてしまうのかもしれない。

じゃあ国の政治や経済はどうか。人間の体くらいに単純な目標を想定したほうがいいのか? つまり、病気の国と健康な国を明白に区別できるのか?

ともあれ、ツイートが続いているかぎり、私の心は元気だということにしよう。息をしているのと同じ。


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上記の話は、「心って、こんなにも、めんどくさい・ややこしいけど、それって進化的には役に立ってないんじゃないの?」という素朴な実感だった。

なんとピンカーも、芸術や哲学は進化的な適応ではない、とか述べているらしい。とはいえ、芸術や哲学をオマケとして生み出した心のはたらき自体は適応的だった、と考えているようだ。
http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20130831/p1(『logical cypher scape』)

だから、めんどくさい・ややこしい心をもった人のほうが、めんどくさくない・ややこしくない心をもった人を、なんらか淘汰してきた可能性はある。(というか、原理的には、体であれ心であれ、それが淘汰されてしまった形質であるなら、現在の私たちがもつはずはない、のだろう。身も蓋もないけれど)

しかし同じく原理的に、現在の人がもつ「心のめんどくささ・ややこしさ」は、過去の生存競争では勝ちも負けもせず、たまたま残っただけである可能性もあろう。そして、未来の生存競争では「心のめんどくささ・ややこしさ」を全くもたない人が圧勝する可能性もあるのだろう。

言い換えれば、心臓に毛が生えるという進化を遂げた新ホモ・サピエンスだけが未来に生き残る。〇〇さんの顔が目に浮かぶ。

ところで、改めてツイートを遡ってみると、ここまで書いたことの発端には、薬物や賭博への関心があった。そのことで思うのは、薬物や賭博に限らず、何かに依存(熱中・中毒)するということは、心の動向に決定的な役割を担うし、それどころか心の本質的な仕組みですらあるかもしれない、ということ。少なくとも、心がなければ依存症もなかろう。

→ (追記)のち、ピンカーの『心の仕組み』を読み始め、ここまでに書いたことはもっと腑分けして考えないといけないことを知った。ピンカーの説明を要約すれば「心は進化の産物だが、行動は進化の産物ではない」ということになる。そこのところがわからないといけない。


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ところで、体の目標が健康なら「心の目標は愛なのでは」というレスをもらった。面白い。心の目標は哲学・芸術・宗教などでもいいけれど、「愛」なら「健康」と並ぶくらいに素朴な単一の指標として設定できそうだから。経済や健康を数値化するように愛を数値化するのが楽しいかどうかは別として。


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以下は依存症をめぐって つれづれに――


ツイッター社がタイムラインを強制的に整理する計画らしいが、この依存症から脱出できるアルゴリズムが組み込まれているのなら、希望します。人生やめたくない。


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ツイッター依存を脱するには、仕事依存になるしかないと、日々、身を持って知る。あるいは、いやでいやで仕方なかった仕事が、いったん始めてしまえば面白くなるのは、仕事への依存状態をうまいこと作り出したからだ、と言える。

これは禁煙の秘訣にも通じる。ニコチンの身体的依存は1週間前後で消えるが、心理的依存は何年も続くそうで、その心理的依存(タバコを吸うと気持ちがいいはず)を断ち切るには、「煙草をやめたら気持ちがいい」という思いのほうが「煙草を吸うと気持ちがいい」という思いに勝るしかないらしい。

比喩的にいえば、昔の恋人が忘れられない場合も、「新しい恋人といて楽しい」という思いが「昔の恋人といて楽しかった」という思いに勝ったとき、初めて、昔の恋人を断ち切ることができる。

そんなわけで、薬物や賭博であれ、仕事であれ、恋愛であれ、等しく、心における依存(熱中・中毒)が醸し出す何かなんじゃないかと、しみじみ思うのであった。「ツイッターもね」