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【2019 輪廻転生】

宇宙カレー、宇宙プラモデル


たとえばカレーは、ルー・肉・タマネギ・ニンジン・ジャガイモといった材料と、炒める・焼く・煮るといった調理の組み合せによって出来上がる。

宇宙はどうか。素材は12種。すなわち陽子や中性子の中身であるクオークおよび電子などの粒子たち。それらが電磁気力や重力など4種の力によって相互作用している。つまり、私たちが知っている宇宙は、これら12種の粒子と4種の力の組み合わせによって、もれなく説明することができる。

突飛だがシンプルだ。

「この世には神と悪魔と人間がある。それらが聖なる力と邪悪なる力を闘わせることで歴史は作られる」というくらいシンプルだ。あるいは、われわれはみな「善人」「悪人」「凡人」「奇人」のいずれかであり、おのおのが「暴力」「権力」「財力」「モテ力」の4種の力を及ぼし合っているとみなすと、この複雑な社会もすべて説明できますよ、というくらいシンプルだ。

上に書いた「宇宙の説明の仕方」は標準モデルと呼ばれている。

標準モデルは、その突飛さもまた、神や悪魔による「この世の説明の仕方」に似ていると私は思う。ただ、標準モデルが特別注目に値するとしたら、理論に矛盾がないこと、物理学者がみなそう信じていること、粒子や力に当たるとみられる現象が実際に観測されること、などだ。

では、星々や山の土や海の水やカレーのルーや肉やニンジンをどんどん細かく分解していくと、いつしか分子や原子になり、最後は本当にクオークや電子になるのかどうか。あるいは、それらが力を及ぼし合うとき本当に光の粒などをやりとりしているのかどうか。それについては「本当かどうかという問いは無意味だ」というしかない。標準モデルの「モデル」とは「説明の仕方」でしかないからだ。

もちろん、説明の仕方にすぎないとしても、その説明は実体に近いほうがよいだろう。たとえば、コレステロールが血管壁に入り込んで動脈硬化を起こし、それが破れたときに血のかたまりが出来て血管を完全に塞いでしまう――これは「心筋梗塞の説明の仕方」だが、おそらく実体にかなり近い。(松田選手の場合は少し違うかもしれないが)

では標準モデルはどうだろう。クオーク・電子・光などは実体に近いのか。人によって見解は異なると思われる。ただ私の感覚では、それくらいミクロな範囲の物理となると、そもそも実体というものをイメージできない。それどころか「実体なんて無いんじゃないか」と言いたくなる。なぜなら、その範囲においては、そもそも「なにかが有るのか無いのか」すらはっきりしない。そのなにかが「粒のようなものなのか波のようなものなのか」もはっきりしない。しかもそこではエネルギーと質量は同じものであり、おまけに時間や空間というものもそうしたぼやぼやしたなにかとごっちゃになってしまっているらしい。「本当かどうか」と同じく、「実体に近いかどうか」も問うだけムダである気がしてくる。


宇宙は何でできているのか/村山斉
宇宙は何でできているのか (幻冬舎新書)


それにしても、極大の宇宙も極小の原子も同一の仕組み(標準モデルなど)で説明できる・記述できるというのは、きわめて驚愕すべき事実だ。しかもきわめて驚愕すべき発見でもあり、人類は途方もなく偉大だというしかない。

ただし、その偉大さの根幹ともいうべき、たとえば生命・知能・意識といった出来事は、物理学の守備範囲とは言い難い。もちろん生物の体も人間の脳も、材料は宇宙や地球と同じくクオークや電子や光など以外ではないのだろう。しかし生命・知能・意識といったレベルのからくりを、標準モデルを積み重ねて解明すべきとは、おそらくだれも思っていない。

このことはこう言い換えることができる――。

銀河や星々あるいは大陸や海洋くらいまでは、いつでもどこでも同じようなものが同じように出来上がってしまうようだ。しかし生命・知能・意識といったものはどうか。仮にもう一つどこかに存在するとしても、それは私たちのものとどれくらい似ているのか。私にはどうにもこうにも見当がつかない。


#理論物理学・宇宙物理学 #実在論