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【2019 輪廻転生】

青春のパンクと感傷――『竜馬暗殺』


竜馬暗殺黒木和雄 監督(1974)
  竜馬暗殺 [DVD]


坂本龍馬が死んだのは1867年11月15日。命日がすらすら出てくる人物なんて、私は他にジョン・レノンくらいしか思いつかない。ありがちだが、私は龍馬が好きなのだろう。その死の直前3日間に話をしぼり、敵と味方の両方から命を狙われドン詰まりになった龍馬を描いたのが、原田芳雄主演・黒木和雄監督の映画『竜馬暗殺』だ。

この映画に私はなぜこれほど惹かれるのか。一言でいえば青春、やぶれかぶれの青春ということになろう。

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頭でっかちの幕末の志士のなかにあって、龍馬は現実主義であり無益な殺し合いより実利ある平和を望んだとされる。この映画でもそうした設定だ。幕府がそして日本がひっくり返ろうという時代。ものごとを柔らかな頭で受けとめられる龍馬だけは、そのとんでもなさに真に気づく。相棒の中岡慎太郎石橋蓮司)にそれを語って聞かせるとき、その土佐弁から驚愕ぶりがよく伝わってくる。

「つまり、ものの見方の転換なんじゃ、これは。転換じゃ。その見方を転換しちった時によ、これは、おまん、全然違った世界が出てきよんぜよ。ある時にはよ、奇っ怪なからくりが忽然と見えてきよるが。今、たった今信じられたものが、全然信じられないようになるんじゃ。またその逆もあらあよ。これは怖いで。怖い。ほんに、逃げ出したくなるほど、怖くなってくるちよ」

ただ、この龍馬をとりわけ愛さずにいられないのは、慧眼以上にその間抜けさが露わになるところだ。たとえば、拳銃を手下に教えようとして撃鉄が固くて動かず、どうやら部品も一つ足りないようで、そのうちに思わず暴発してしまう。しかもこの拳銃、大事な時に弾を込め忘れたり置いていったりもする。

龍馬の直情ぶりもまた「ああこれが青春♪」(実際の龍馬は33歳になろうとしていたわけだが) たったいま土蔵に身を隠したはずなのに、隣の二階に妖艶な女郎(中川梨絵)がいるのを見つけると、たまらず飛び出しその窓まで力づくでよじ登る。つきあいのあった女たえ(桃井かおり)からは「坂本様はけだものです」などと真顔で言われる。

石橋蓮司が扮する中岡慎太郎がまた甲乙つけがたく好い。陸援隊の隊長でありながら仲間の粛正にはとまどいを隠せない、善良で素朴な心根。しかも薩長と幕府の戦争が目前に迫り、おのれはどこに向かうべきかと大いに苦悩する男でもある。なにしろ不可解なのは、同志たる龍馬をなぜか今自分が殺しに向かっていることだろう。この激変と矛盾を説明できるだけの解釈を、中岡は見つけられない。

おもしろいことに、今は中岡のほうがたえと恋仲なのだが、こちらは「なぜ慎太郎様は、けだものにならないのですか」と迫られてしまい、あわてふためいている。対照的に龍馬は女とすぐ親密になるので、中岡は苦々しくかつ羨ましい。ついに中岡は龍馬に対し刀を抜くことになるが、それも結局たえをめぐる口げんかがもとだった。ここには青春が最大の難問として抱える「モテ・非モテ」というテーマが、時代を超えて横たわっているようで、ため息を禁じえない。

しかしながら、自分が何のために何をやっているのか、やがて分からなくなるのは龍馬も一緒だ。そもそも社会と自分の位置を完全に把握することなど同時代の個人にかなうことではない。それに若者は一般に答を性急に求めすぎる。龍馬は珍しく楽天的だが、蔵の中に閉じこめられマジに命が危ういとなれば、さすがにマジに問い詰めざるをえない。狭い部屋へかすかに聞こえてきた「ええじゃないか」の声に、龍馬は障子を激しく破って外をのぞき、叫ぶ。「おまんら、何がええんじゃー?」

この性急さと焦燥は、龍馬や中岡らの革命青年だけのものではない。地方からぽっと上京し龍馬を暗殺する役目をもらい闇雲に突っ走る一人の若造にも共通している。演じているのは松田優作。台詞がないのかと思うほど寡黙だが、粗野そのものを体現して異様な存在感。しかし彼もまた自分がわからなくなる。泣き叫びつつ、敵か味方かも不明の刀に倒れていく。『太陽にほえろ!』でジーパンが殉死するのとどっちが先だったのだろう?

同じく、新撰組で一旗あげようと東北から上京し、女郎部屋に通いながら金を使い込み、いやがる女郎に心中を迫って逆に二階から落とされてあっけなく死んでしまうダサイ男。彼もまた時代の大波に乗ったつもりでただ溺れていく無名の無数の青年の一人だろう。ほか、陸援隊の下っ端たちのぎらつく顔が一度アップになるが、これまた田舎まるだしで、ふとジャ・ジャンクーの『青の稲妻』を思い出した。

誰もかれも「あんな奴らはぶっ殺せ」「オレが日本を変えてやる」と威勢はいいけれど、その根拠や手順はあまり明白でも周到でもない。ひたすら未熟で、だらしなく、見境なく、カッコ悪い。――この映画はそれこそが身にしみるのだ。今若い人もかつて若かった人もきっと共感するだろう。無様に股を広げて後ろに倒れるシーンがけっこう多いと思ったが、そういうことも効いているのかもしれない。

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ところで、上に書いた「ええじゃないか」は、実は映画全体を彩っている。龍馬は蔵を抜け出して中岡のいる屋敷に行くために、ええじゃないかの乱舞に紛れようと思い立ち、女の着物をまとい白粉や口紅で化粧する。中岡にも同じ格好をさせ一緒に市中に出ていく。おかしなことに、殺し屋の若造まで女装してずっと龍馬の後を着いていく。

映像としても絶妙のこのアイディア、だれが思いついたのだろう。いずれにせよ、映画の勝利はこれで確実になったのではないか。民衆がええじゃないかを踊る様子自体もスクリーンをよく覆い、それは龍馬たちのアナーキーな気分の醸成に、さらには活劇の舞台にと、大いに貢献する。

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さて三人はその格好のまま、河原に佇んだりする。当時テレビで流行っていた青春ドラマみたいでもある。さらにどこかの寺で龍馬と中岡はそのまま眠り込んでしまったようで、中岡が目を覚ますと、目の前に女のなりをした龍馬が自分に寄り添っているではないか。しかも中岡はほとんど裸で、おまけになぜか龍馬のふんどしをしっかと握りしめている。なにをやっているんだオレは! そんな表情でぱっと離れる中岡。このシーンは特別に可笑しい。

この奇妙で微妙な仲の良さがなんとなく気にかかるわけだが、その関係は、二人が殺される直前になってひとつの極まりに至る。そこも当然ながら見逃せない。先行きが見えずいらだち始めた龍馬は、女郎の女を連れて土佐に帰るなどと言い出す。それをめぐって二人は取っ組み合うが、そこで中岡は、もがきながら、「わしも連れてけ!」と怒鳴るように口にしてしまうのだ……。泣ける。中岡よ、きみはわけもなく龍馬が好きなのだな。わかる。私もわけもなく龍馬が好きだ。いや、きみのことはもっと好きかもしれない。

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作中で使われる音楽が2つあり、1つは和太鼓風のパーカッション、もう1つはガットギターの旋律で、それぞれパンクそして感傷のムードを交互に奏でるのだが、この映画全体が、ここまで述べてきたように、まさにパンクと感傷のツートーンで出来ているように感じられた。

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ええじゃないかという歴史の偶然を映画にも見事に生かしたのと並んで、もう一つ素晴らしすぎる映像の仕掛けがある。写真だ。龍馬が注文した鉄砲が品不足で、代わりに送られてきたのが写真機だった。龍馬は新しもの好きで知られるが、ここでも中岡、若造、女郎を誘いさっそく撮影してみる。そのとき一堂は10分間じっとしていなければならない。殺すか殺されるかの緊迫がこのときだけは解けるのだ。映画の激しい動きと時間もまたしばし停止。そもそも架空の挿話だろうし、撮影は失敗して写真は残っていないという字幕も入るのだが、しかしその1枚は、龍馬も中岡も惨殺されてしまった後のエンディングになって蘇る。青くヘンテコに散っていった幻のポートレート。それがまた胸を打つ。

龍馬は写真を撮るのが本当に好きだったそうで、おかげでたくさん残っている。だから龍馬といえば誰でも、あのおっさんっぽい顔がすぐ思い浮かぶだろう。そのイメージが福山雅治武田鉄矢の顔で置き換えられる人もいるかもしれないが、私はやっぱり『竜馬暗殺』の龍馬が鮮烈に刻まれている。

ちなみに、中岡慎太郎の写真もWikipediaにある。屈託なく歯を見せて笑っていて、石橋蓮司の中岡とはちょいと違う。なお、当時は中岡のほうが龍馬より大物であり、暗殺もむしろ中岡を狙ったのではという人もいるらしい。そもそも龍馬の国民的人気は司馬遼太郎の『竜馬がゆく』で初めて確立したとも言われる。意外だがそういうものか。ではいつか、中岡を主人公にした新しい青春物語も読んでみたい。

坂本龍馬http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E9%A6%AC
中岡慎太郎http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B2%A1%E6%85%8E%E5%A4%AA%E9%83%8E

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さてさて、『竜馬暗殺』の公開は1974年。画面に「侍たちの内ゲバ 日常茶飯事……ナリ」といった字幕が現れる。60年代末からの学生運動や70年代の連合赤軍事件を幕末にオーバーラップさせたのは間違いない。それと関連するが、岩倉具視が自分たちの旗の印を示しながら、「ご託、理屈を並べる奴、訳のわからない奴らを、頭から押さえつけ納得させるには、菊の花が一番」とほくそえむ場面がある。明らかに警察権力を当て擦っている。

戦後日本もまた青春期をそろそろ終えようとする時期と思えばいいのではないか。見田宗介大澤真幸によれば「理想や夢の時代」から「虚構の時代」への曲がり角だ。音楽ならロックもさすがに煮詰まったというところか。このほか、性に燃える青春映画とも言えること、四畳半フォークの暗い世界がかいまみえることなど、やはり70年代の空気は色濃い。

白黒のスタンダードサイズで画質もやや荒れていることがよく指摘される。古い時代劇を思わせかえって斬新だと評される。これはしかし、かなり低予算だったということの怪我の功名とも考えられる。また、冒頭で竜馬がブーツを履いて走る石畳の路面や、寺や墓地などが画面に入るが、もしカラーだったら相当苦心しないと現代であることがバレバレだったのではないか。

これらの事情はこの映画製作自体の「やぶれかぶれ」を想像させる。それが私にはむしろ魅力だ。NHKの大河ドラマ龍馬伝』が話題で、その流れでこの映画DVDも見直したわけだが、他の追随を許さないという『龍馬伝』のパーフェクトな人物造形や制作体制より、なんだか全体にアマチュアっぽい『竜馬暗殺』をつい贔屓してしまう。