東京永久観光

【2019 輪廻転生】

真っ当なコダワリ

だいぶ遅くなったけど、追加。

今回の騒動を《馬鹿げたコダワリ》と評したフレーズがあって、印象に残った。
http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20041020#p1

このばあい、馬鹿げたコダワリをしているのは、ええっと、自虐史観の人(サヨクとも呼ばれる)じゃなくて、自溺史観の人(ウヨクとも呼ばれる)のことだね――、といちいち指さし確認しないといけないのは、国民のコダワリもいろいろだからだ(人生も)。

そして私もいろいろ考える。自溺側から自虐側への攻撃は「馬鹿げたコダワリ」だけれど「馬鹿げたマチガイ」とまでは言えないのかな。また「馬鹿げたコダワリ」だけれど「真っ当なコダワリ」とまでは言えないのかな。じゃあ逆に、自虐側から自溺側への攻撃はどれに当るのかな。この議論で、不審と不信が右に左にぐらぐら揺れてしまうのは、いつもこのあたり。

この議論、形式だけみれば対称構造だと思う。もちろん形式より中身のほうが刺激は強いし大事でもあろう。しかしそのせいで、この議論では形式のほうがいつもウヤムヤにされているようで、気持ち悪い。

すなわち――。<自溺側は「日本がアジアを侵略したという歴史は誤りだ」と主張している>と自虐側は主張する。しかし実際の議論では、自溺側の主張の焦点は、「歴史は誤りだ」よりむしろ、「自虐側の言い方は誤りだ」である場合もけっこうある。これに対して自虐側は「歴史は誤りではない」と証拠を示して反論する。しかしそれは「自虐側の言い方は誤りではない」の証拠にはなっていない。要するに自虐側は、批判されているのが歴史ではなく自分自身であることに、案外気づいていない。そこが気持ち悪い。

こういう話はしかしホントに面倒だ。でもこういう真っ当な面倒に「コダワル」人がたまにはいるから、インターネットはすごいと思う。そして、こういう面倒こそ引き受けなければ始まらないのだと直観する記事に、トラックバックは送らずとも心のエールを送っている人はもっとたくさんいるんじゃないかと思っている。

http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20041020#p10
http://d.hatena.ne.jp/Soreda/20041021

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なお、「自虐史観」は「自戒史観」でありうる。「自溺史観」は「自尊史観」でありうる。