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【2019 輪廻転生】

★映画『寝ても覚めても』

映画『寝ても覚めても』を久しぶりに視聴した。Prime Videoにあったのをスルーしていたが、先日 黒沢清の『スパイの妻』をみて、その脚本が濱口竜介(ら)で、彼は黒沢清の教え子だったことも心にとまり、クリックした。

冒頭が写真展から始まったことは忘れていて、しかし、その写真家 牛腸茂雄が、私がたまたま昨年暮れ渋谷に見に行った写真展「なんでもないものの変容」の作家の一人だったという偶然に、捨ておけないものを感じた。というか、濱口竜介監督の映画の独特さは、ちょっと展覧会的なものを見ているような、と形容してもいいなと思った。

 『ハッピーアワー』なんかも、ワークショップとか人を集めた催しものとか、展覧会と似たカテゴリーと言ってもいいものを、延々見させられる映画であるところが、なにしろ比類のない奇妙さだったし、『ドライブ・マイ・カー』も芝居の練習を見るのがなぜか一番面白かった。

それに、主演の2人はのちに現実として際どい関係を展開させていったのを知っているので、映画を再びみると、その現実と映画が循環して見える。映画世界が現実世界に似ているのかその反対なのかは、2人には曖昧だろうが、見る私にも曖昧で、それもワークショップ的、展覧会的と言いたい。

それと、そうか伊藤沙莉が出ていたんだ、渡辺大知も出ていたんだ、と忘れていたことに驚きつつ、さもありなんという役者が出ていたんだなと感心する。朝ドラと大河ドラマも思い出すが、渡辺大知は映画『勝手にふるえてろ』で微妙な役柄で、『ノイズ』では微妙を超えてひどい役柄で、なんかすごい。

しかしこの映画『寝ても覚めても』での渡辺大知の役柄というか役割のようなものは、それを大きく上回って、底しれないところがある。なんというか、けっこう仕事でストレスがつのっているとき(今)みたこともあって、改めて辛かった。どういうことかはうまく言葉にならない。

あとは、猫が出てきて一時的に姿が失われたりするところが、私としては、ここしばらく再読している『ねじまき鳥クロニクル』を思い出させた。妻がなんらかの深刻な理由で消えるという点も共通していると思った。『ねじまき鳥』の中に何らかの絶望の淵(または希望)を見い出せるのだとしたら、ひょっとして、この『寝ても覚めても』の中で見出されるかもしれないそれと、同じようなものなのではないか、と思った。これは初めてのなかなかの発見だ。濱口竜介村上春樹に接近するわけというようなものにも、通じるのかもしれない。

あと、マヤが出演している芝居のビデオを串橋がコテンパンにくさすシーンがあるのは、ぼんやり覚えていて、今回も衝撃的だった。「最大の見どころの1つ」だろう。そして当然思い出されたのは、今泉力哉監督の『退屈な日々にさようならを』だ。『退屈な』はどこを切っても素晴らしく面白いが、序盤のめくるめく展開の最初のほうで、ある自主制作映画をみた、その監督の友人が、その作品をなんのそんたくもなく批判しまくるシーンがあり、全体のトーンとは少し独立していつつ、忘れがたい美醜があった。

なお『寝ても覚めても』には東日本大震災が出てくる。その復興や防波堤も出てくる。そしてあの地震は何だったのかと改めて考える時間が訪れる。あの地震が何だったのかなんて語り尽くされていると思っているが、ほぼ一様のことが語り尽くされているだけにすぎないかもしれない。今回そう思った。

それにしても、大地震による揺れを映画のシーンとして描くのに、最もコストがかからない方法が何かを、今回知った! しかしながら、「それが何か」というような問いの答えなんて、いつだって暗闇や沈黙のなかにこそ見つけるべきことなのかもしれない。

 

◎『寝ても覚めても』 最初にみたときの感想(映画館じゃなかった)
tokyocat.hatenadiary.jp/entry/2019/05/

 

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