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【2019 輪廻転生】

オウムとは何だったのか?


「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」。私のツイートのようだが、じつはこれ、麻原彰晃が説法において好んで繰り返した文句だという。(大田俊寛オウム真理教の精神史』p.278) ……そうだったか。

 オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義

そして著者は《オウムとはロマン主義的で全体主義的で原理主義的なカルトである》と結論づける。はからずも出てきた「ロマン主義」そして「原理主義」。この響きには惹かれないわけにはいかない。

これほどの共振にもかかわらず、オウム真理教が私には完全に他人事に感じられるのは、不思議といえば不思議だ。(いや、それ―他人事に感じられる―がなぜかは自分ではわかっているつもりだが)

ともあれ、著者は、オウム真理教の本質を知るうえで、元信者の著書やジャーナリストの著書には参考になるものが多いのに対し、学術的な著書はさんざんの内容だとして、中沢新一宮台真司大澤真幸らの論考をかなり批判しているのが、とても興味深い。

ではなぜ彼らはオウムをちゃんと分析できていないか。それをめぐって著者は、オウムを眺める視野が「高度成長直後の日本」といった狭すぎるものであったり、反対に「仏教史においては」といった広すぎるものであったりした、という問題点を指摘している。

そうではなくて、オウム真理教は「近代の宗教」なんだと言う。自明の観点が欠けてるよ、というわけだ。なるほどそうか。では、近代とは何か。近代の宗教とは何か。…なんだっけ? 「無神論」だの「人は死ぬ」だのそんなことばかりツイートしている者が、そんな根本の知識を欠く。では読もう。


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この本を読むことにしたのは、先日パラパラと読んだ『1990年代論』(大澤聡編著)で、この大田俊寛氏が、オウムをめぐる90年代を、あえて「私の精神遍歴」という観点で振り返っていたのが、ふしぎと心にとまったのがきっかけ。

ちなみに『1990年代論』は冒頭の共同討議(東浩紀×速水健朗×大澤聡)が群を抜いて面白い。たとえば――

東「ニューアカのようなポストモダニストたちが予想していたのとはまったく異なるかたちで、ポストモダンな光景が九〇年代後半に実現した(…)」しかし「日本のポストモダニストは、自分たちの理論を愚直に実現するとオタクが生まれるのだという、じつに醜悪な現実から目をそらしつづけていた」

 1990年代論 (河出ブックス)