東京永久観光

【2019 輪廻転生】

物質の単独性、情報の反復性


情報は紙やテープやディスクなどの物質に記録して伝達されるが、電波や太陽光や放射線はいわば媒体なしに伝わるから、やっぱり不思議だ。

「情報そのもの」が媒体とは別に「存在する」と、言うことはできるのだろうか。日記帳やハードディスクが消えても知識や記憶は残る、カセットテープを処分したがディスクに音楽そのものは残した、と言いたくなるが、それは情報そのものなのか?

ふと思うことが2つ。電磁波の速度が絶対的とか、放射性物質放射線を出す確率が正確とか、それは物質についての話ではなく、いわば情報についての話だからではないか。つまり「情報こそは絶対的で正確」なのではないか。

もう1つは遺伝子がもつ情報について。DNAは物質だが、遺伝情報は物質ではない、と言えるのだろうか。まったく同じ遺伝情報をもつクローンであってもまったく同じ個体にはならないが、それは遺伝情報が作成・展開されていくときに使われる様々な物質が、まったく同一ではないから、だろう。

ただ、よくわからなくなるのは、次のこと。たとえば私の体は物質だろうし、私の体を作っている細胞も物質だろう。しかし、それをどこまでも細かくしていった原子核や電子になると、物質というより情報というかんじがする。ではその中間にあるような有機的で巨大な分子はどうなのか?

ここまで全部をふくめたぼんやりした私の思い:カセットテープやビデオテープの1本1本が物質として完全に同一ではないように、DNAの1本1本も物質としては完全に同一ではないだろう。でも担われる音楽や映像や遺伝の情報は同一だと言いたい。


何を考えているのか、わからなくなってきた。


わかっていると思う話に切り替える。赤い光や青い光の感じ方には個人差がある。モニターによっても光り方に差がある。赤い光や青い光そのもの(赤い光や青い光の物理的性質)は情報の話で、眼球やモニターが感じたり映じたりする実際の赤い光や青い光は物質の話なのだろう。

戻って。細胞と原子の違いのイメージは、物質と情報の違いのイメージと重なるのか?それとも、それは物質と情報の違いというものではなく、たんなる大小の違いなのか? つまり、物質と情報は、そもそも対比させられるようなものではないか?