東京永久観光

【2019 輪廻転生】

ツイート・歯磨き・内田百間


手が3本あったら、ツイートしながら歯磨きできる!

今すでにできているように思うのは錯覚で、ツイートしている時、歯磨きのほうは止まっている。

では、もし手が4本あったら「さらにメシも食えるじゃないか!」 ついそう思いがちですが、それはできません。

Q:なぜでしょう?


メイスン&ディクスンなら、同じページを開きながら10分くらいは歯磨きできるんじゃないでしょうか。

月に新書100冊読むライフハッカーには無理だろう。いや、その無理を可能にするのがライフハッカーか。


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1人の人が同時に2つのことを考えることはできない。…のかというと、たしかに言葉で考え続けることはできそうにない。でも、雨がふってきて直感的に同時に「傘がないことを思い」「洗濯物がぬれることを思う」ということはできるように思う。この2行を同時に書いたり読んだりはできないだけで。

「考える」の定義の問題になるのだろう。言葉を使うことが狭義の「考える」なら、心臓や呼吸の制御だって脳が「考えて」やっているともいえる。

「考える」の定義は難しい。その点、「歯磨き」の定義は簡単だからよい。定義が違っていたら、虫歯になる。

「ボク、ちゃんと磨いてるよ」と言い張る子供、というのはよくあるが。


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ネットに向かいネットに何か言う時の冷静さを、他人に向かい他人に何か言う時にもてたらよいのだ。が、難しい。

内田百間は文体のような人格をもっていたように感じられるが、しかし錯覚だとしたら面白い。会った人に聞けばわかるが、そうしないとわからない。

内田百間の小説とエッセイのムードの違いは、今では違和感はない。あの顔写真にも違和感はない。黒沢明監督の映画『まあだだよ』の百間には、大いに違和感があったが。

★百間に「立腹帖」というエッセイ(?)がある。その文章は、クスリとおかしい百間のエッセイの典型のようでありつつ、自らの怒りが自らの意識を幻覚妄想超現実的に歪ませた報告でもあるように思える。