東京永久観光

【2019 輪廻転生】

記憶という魔法


1000人フォローしていて、1000人をことごとく見分けられるかというと、それは難しいだろう。実際の知り合いだと、そうでもないのだろうか。

ところが1000曲くらいの楽曲は、聴けば間違いなく区別できる。これはすごいことではないか。

さて、リアルの人間はどう区分けしているかというと、まずは顔だろうか。名前も重要か。

ツイッターもまた固有名は重要だし顔(アバターアイコン)も重要だ。ただツイッターの固有名は、その意味よりむしろ文字列のアイコンとして目をひくのではないか。

ところで。

秋○、粟○、石○、伊○…。これはじつは私が高校1年のときの出席名簿の最初の4人だ。数学の教師がテストを返すとき、1人ずつ取りに来させた。そのときの叱責を含んだ声とともに、この文字列、それに伴う顔の列、などなどを、何十年たっても忘れない。

記憶とはおかしなものだ。ほんとうにふしぎなものだ。

そのときの声が浮かぶ、顔が浮かぶというのは、いったい何なのだ! それは夢を思い出すようにぼんやりしたものではあるが、もしも、なんらかの訓練によって、それを夢の「最中」くらいにリアルなものに出来るなら、それはつまり時間や空間を超えられる=タイムスリップ可能という意味ではないだろうか。