「トランプは真でも善でも美でもない」と非難したい。しかしふと思う。この世の事象に「善でない」や「美でない」はあっても、「真でない」はありえないのではないか?
命題ならたしかに真も偽もある。しかし実際に起こっている出来事を偽だと言うとき、どういう意味になるのか、わからない。
トランプによる撹乱はまた、環境の激動のなかで変転してきた生物進化を思い出させる。「適者生存」という言葉を思い出させる。しかも適者が誰かをまったく予測できないから、「生存するやつが適者だ」という気分にさせる。実際そもそも「適者生存」とはトートロジーでしかない。
ところで、ダーウィンの進化論が登場した当初、「自然淘汰というけど、淘汰(選択)するのは誰だ? 結局は神か?」と人々は首をひねったらしい。そこで『種の起源』は、のちの版で「自然淘汰」を「自然淘汰すなわち最適者生存」と変更したという。
なお、「適者生存」はダーウィンでなく社会進化論で悪名高いスペンサーの考案。
ーーそういうことが『理不尽な進化』(吉川浩満)に書いてあった。やっと通読した(2014初刊)。息の長い考察が行われるが、狙いは絞られていき、次第に大きな共感と納得に包まれる一冊だった。
同書は「適者生存」がトートロジーだと見透かした上で、むしろそうであることの深い意義を掘り下げる。また「適応主義」をめぐって行われた世紀の大論争(グールドVSドーキンス+デネット)の核心を明らかにする。去年『ダーウィンの危険な思想』を読んだところだったから、実に有益で面白かった。
まとめーー 生物の世界では生存するのが適者だから適者が生存する。政治や経済の世界もまた同じ。では選択するのは誰だ。神か。いや神はいない。もはや国際社会もない。ひとりトランプが選択をする。こうなった世界が「偽」だとは言えない。しかし「善ではない」「美ではない」とは言える。