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【2019 輪廻転生】

殺す不思議、殺さない不思議


佐世保で起こった小学6年生どうしの殺人。でも事件以上に意外だったのは、小学生の6割がインターネットを身近に使っているとかいう報道だった。いやこれはただ子供に関心がなかったためで、考えてみれば当然ありえる話だ。サイトや掲示板、チャットもどうやら大人と同じ感覚で接しているらしい。加害者が打ち込んだという文面を知るにつけ、浮かれぎみではあるが内心シビアで危うい対人関係を日々やりくりしているのは、なんだオジさんたちと変わらないじゃないか、というのが正直な感想。日常生活がネットによって覆いつくされた事情は、ちょっとおませな子供とちょっと緩めな大人とで、まあ同じようなものなのだろう。そこでは史上空前の規模と特異さで迫ってくる言葉の渦を前にして、「こいつ殺してやろうか」とムカツクことは、ないほうがおかしい。大人も子供も。

ところで、日本に小学6年生は130万人ほどいる。もちろんその上下の学年を加えていけば人数は倍増していく。そうするともっと注目していいのは、その数百万単位の子供のうち、インターネットのせいで友達を本当に殺してしまった子供はたった一人しかいないという事実の方ではないか。事件の異様さもさることながら、殺人の少なさのほうがむしろ驚くべきことに感じられる。

これは大人を含めてもそう感じる。インターネットの人間関係や言葉関係が、実社会における関係以上に濃密となり、やがて実社会を変えたり超えたりしかねないことが問題視されている。たしかに興味深いテーマだ。しかしそれなら、インターネットに絡む殺人はなぜこんなに起こきないのか。殺すまでに至らない暴力沙汰がたくさんあるのかもしれない。でも通常の暴力沙汰なら、殺すまでに至ってしまった事件が毎日のように報道されているではないか。インターネットの書き込みで関係がもつれて相手を殺したという事例は、結局一つも記憶にないが、どうだろう。

話は大きく振れるけれど、現在日本では年間3万人余りが自殺する。交通事故の死者もいまだ8千人近い。またガンによる死者はとうとう30万人を超えたという。もっと細かく特定してたとえば、喫煙が原因の肺ガン死だけをみても交通事故死の5倍だという説もある。これらに比べればインターネットはなんと安全で健康なことか。ごく稀には心中をひきおこすし、もしや回り回って生活習慣病につながらないともかぎらないが、直接死を招くような深刻さがあるとは言えない。

今回の報道では、普通の子供ということとインターネットの影響ということが当然ながら強調されている。そこには、どの子供もこういう殺人を起こしかねない、あるいは誰にとってもインターネットは悪でありうる、といった含意があいかわらず見え隠れする。でも実際は、圧倒的多数の子供はなぜか殺人をしないですんでいるし、圧倒的多数のネットユーザーは殺人をしないですんでいる。逆にそれこそ何故なんだと問うてもいい。そうなると、その珍しい子供の殺人がなぜかインターネット殺人であったこと、また、その珍しいインターネット殺人がなぜか子供の殺人であったこと、そうした限定された考察が求められることになる。

さて、このように考えて改めて自覚されてきたのは、そもそも我々は人を殺したいと思うことがままあったとしても、本当に殺してしまうほどのことはめったにないという現実だ。子供であればいっそうないのだ。これは不思議といえば不思議だ。たとえば言語の本質というものを考えると、言語なんて互いに通じるはずがないのに、あら不思議なぜか通じているね、という奇跡にやがてぶち当る。現実であれネットであれこんなに熾烈な社会において殺したいと思うことがあるに決まっているのに、でもなぜか殺さずにすんでいるという奇跡は、それに近いと思う。中東などではどうしようもなく人が殺されてしまうのだとしたら、日本などでは同じくらいどうしようもなく人が殺されずにすんでいるのだ。

ちなみに私自身は自殺したいとか誰かを殺したいとかそういう衝動にかられた経験はない。のんきな性格なのか。というとそうでもなく、政治的・道義的・社会的な憤りで「こいつ殺してやろうか」と思う方々に出会うことはある。つまりテロリストになる可能性はゼロではない。いやいや、それだってもちろん宝くじで3億円当るくらいの低い確率なので、ご安心を。

ちょっと参照→レベル7」(大西科学。ほかにも参考にしたサイトはいくつかありますが推測してください。