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【2019 輪廻転生】

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雅子さん徳仁さん、言いたいことはブログに書くという手があるよ。いや案外こっそり「はてな市民」だったりして(日本の市民ではないのに…)。実はトラックバックもけっこう送ってるとか(あなたの日記にも)。

皇室を国の制度から切り離すことを真剣に模索してはどうか。とりあえず民営化とか宗教法人化とかそういうことで。そのうえで二人とも外交なり文化なり思うぞんぶん活躍すればいいじゃないか。元プリンス&プリンセスの威光はどうしたって破格なのだから。

「女帝を認めないのは時代錯誤」と嘆く人も、帝そのものが時代錯誤でないかをまったく問わないとしたら、やっぱりヘンだ。どうやら我々は、いつの頃からか、天皇制を本気で疑うことをやめてしまったようにみえる。いかにも気鋭の言論人たちも、憲法はガタがきたとか失笑しつつ、天皇制のことは忘れたフリをしている。左右両翼ともに。これもいわばひとつのグローバルスタンダードだとか考えているのではあるまいか。新聞の記者やテレビのキャスターだって、心の底から「皇太子妃 雅子様」とひれ伏す気持ちがあるわけではないだろう。だったらその言語生活はイヤだろう。でももういちいち目くじら立てないのが21世紀の流儀なのだろうか。しかしそれは言葉の拉致や言葉のテロに屈するのと、なんだか似てないか(似てないか)。

ところで、三浦俊彦がある書評でこんなことを書いている。《自我体験は論理の素朴な混乱であり、哲学からはさっさと消去されるべき擬似問題にすぎない》と。この構図を借りるなら、《天皇体験はナショナリズムの素朴な混乱であり、国政からはさっさと消去されるべき疑似問題にすぎない》。ところが実をいうと私は内心こう感じている――。それでも自我体験つまり〈私〉とは、混乱や疑似問題なのではなく、やっぱり意識や生の本質をなんらかまとっているんじゃないか、と。その思いを捨てきれないように、〈天皇〉もまた100%混乱した疑似問題だとも言えない気がする。それが〈天皇〉問題の不思議なところだ。〈私〉の謎が物理主義では解けないらしいのに似て、〈天皇〉の謎も、たとえばリベラリズムなどでは完全には解けないのかもしれない。

それとは別にもうひとつ考えさせられること。皇室は、まさに特権階級であるかのようで、実際は法すなわち国の言うことを一から十まで聞かざるをえないらしい。天皇より国家のほうがずっと強力かつ完全。当り前だが、そうなのだ。してみるとブログもなかなか許されないのか。さらには、仮に皇室が国の制度から離れたとしても、そのまま国から独立するなんてことは絶対にありえないわけだ。今度は戸籍や税金や年金がやってくる。大目に見てもらえないのは、私や総理だけでなく元皇太子もだ。それが法の下の平等ということなのだろうが、それにしても、国法とは、勢いあまって戸籍や税金ごときすらが、それほどまで「神聖にして侵すべからず」なのか。