東京永久観光

【2019 輪廻転生】

7:20キックオフ

●近ごろ「君が代」が歌われるシーンといえば、サッカー日本代表、テレビの試合中継だ。各選手は、なんでそこまでというほどカメラに迫られるが、歌うでもなく、歌わないでもなく、モジモジ、モゴモゴ。いつもこれを見るのが、なんだか、いたたまれない。●…もし「君が代」とは別の歌が国歌に制定されていたなら、この場は収まりがつくのだろうか。…でも、それは「君が代」問題の解決ではなく、回避にすぎないのかもしれない。…まあべつに、「君が代」の問題を今ここで解決しなければならないわけではないのだから、素知らぬふりでサッカー観戦したからといって、ことさら非難される筋合いもなかろうが。…ただ、「君が代」をいったん忘れると、こんどは国歌の是非という根本問題が浮上してくる。「君が代」をスルーできても、国歌はスルーできない。ゴールは遠い。…いや、そんなサッカー用語にたとえたからといって…。●と、毎度このあたりまで首をひねっていると、「君が代」セレモニーは終わる。


●いつだったか、工藤静香の「君が代」独唱というのもあった。しかし、ああいうのはよけい複雑に居心地悪い、というのは私だけだろうか。誰がどう歌っても「君が代」は聴きようがないのか。それで思い出すのは、やっぱり忌野清志郎の「君が代」だ。→こちらのサイトから視聴できる。この熱唱だけは、直感的にすがすがしい。どういうことなのだろう。錯覚か(単に清志郎が好きなだけ?)。


●「君が代」のオールタナティブというのは、ありえるのか? ありえたとして、それにはどんな意義があるのか?