ドン・キホーテ 焚書とパロディ

ドン・キホーテを初めて読んでいる(ドン・キホーテの年もはるかに過ぎて今さらなぜか)。騎士道物語を読みすぎて自分が遍歴の騎士と思い込み冒険に出かけてしまう小説、として知られているわけだが、冒頭からまったくそのとおりで、有名観光地のツアー客になった気分だ。

 

ほどなく、ドン・キホーテの身近な者たちが、彼を狂わせた数々の蔵書を書斎から裏庭に運んで焼いてしまうという章がやってくる。その一人は司祭で学があり、実は自分もそれらを読んでいたようで、1冊1冊を手にするたび、題名も口にしながら、どこがダメな本であるかをいちいち評するのが面白い!

「…あの生硬にして味気ない文体では、やはり、早々に裏庭へおひきとり願うほか、いたしかたあるまい」とか「それは…主人公はいささか癇癖が強すぎますから、胆汁を浄化するために、ちと大黄を投与する必要がありますな」とか、思いがけず文芸批評が展開されているのが、また面白かった。

中には詩の本もあるが、これにはドン・キホーテの姪がやけに心配し、「(叔父さんが)詩人にでもなられた日には、それこそ、たまりませんわ。なんでも世間の噂では、詩人病というのは不治の病で、おまけに伝染するというではありませんか」と容赦しないので、ますますおかしい。

ドン・キホーテ』は17世紀初頭に出版されているが、人々は物語や詩というものにすっかり慣れ親しみ、早くもあきあきしていたのかもしれない。それどころか、文学に対していわばポストモダン的な視点すらすでに抱いていたことを思わせる。

 

さて、現代を生きる私が、焚書のシーンということで思い出したのは、高橋源一郎の『惑星P-13の秘密』だった。あれは20世紀後半の小説なので、記憶はかなり薄れているが、たしか、書物というものが、風呂を沸かすために焚べるものとしてしか役立っていない、そんな哀しい世界が描かれていた。

昔これほど面白い本があったことを、どうして人はすっかり忘れてしまうんだろう。

「惑星P-13の秘密」高橋源一郎 [文芸書] - KADOKAWA

 

それと、ボケる前に一応言っておくけど、ゴーストバスターズ 冒険小説』(高橋源一郎は、まるきり『ドン・キホーテ』をやっているのでしょうね。

パロディーを先に読んでいた、というのが、いつの世にも、文学と遭遇する実際のありかたなのでしょう。