東京永久観光

【2019 輪廻転生】

つれづれ


ミッキーマウスのプロレタリア宣言/平井玄

連合赤軍などの事件が相次いだ1974年という歴史の断面を、新宿の場末にある実家のクリーニング店から、鬱々とした日々を送る1人の若者の視点が、眺めている。1枚の実在する写真から始まるところが、ちょっと『舞踏会へ向かう三人の農夫』的。

ミッキーマウスの話から始めるところもまた似ているか。しかしこれは小説ではない。架空ではないもののほうが基本的に面白いに決まっているではないか、と思うことが私は時々ある(それでも小説を読んで面白いのは、架空でも面白いのか、架空だから面白いのか、どっちかは、今もわからん)

造反有理、とは、まさに使い古されたうえに忘れ葬られたような用語だ。しかし、この言葉は、具体的なある時期の具体的なある人の日常からの訴えであれば、それは確かな感触の共感となる(私にとって)。たとえばゼロ年代のNY、アフガン、イラク? 74年の日本? あるいは2008年の秋葉原

それ以上にこの70年代の新宿とミッキーマウスには正解があるようで、読み進める。平井玄という人は最近『愛と憎しみの新宿』という本が出し、それが評判のようなので、前著のこちらをまず読み始めた次第。ただし文章があまりに上手で妙に気になる。思想の是非とは文体の是非なのか?(小説は?)

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役所の戸籍とはちがい、我々は150歳や200歳まで生きるのはまず無理なのだから、未読の本が積み重なるストレスを解消するには、複数の本を同時に開き少しずつでも途中まででも読むしかないのだ。そして、それについて、思いついたときに、つぶやくしかないのだ。

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「十九歳の地図」の少年のささやかにして無茶な反逆にも「理がある〜!」と思ったなあ。

人の正義の判定には、幸福だけでなく、自由があり、そして美徳が横たわっていると、サンデル先生はまずみるのだが、そのとおりだと思う。革命(的な無茶苦茶)の正しさというのも、結局のところ、幸福や自由よりは、美徳の感触なのだと思うきょうこのごろ。

鳩山元総理が今なぜロシアではなく沖縄に遍路の旅に出ていないのか、そしてそこに全財産と後半生を埋めて暮らしていないのか、いかにも腹立たしいのも、そういうことなのだ。美徳からくるむかつきなのだよ。

友愛総理からレバニラ総理へ。そして小沢一郎が強大な資本や国家に文字通りパワーショベル的に(ATM破壊的に)突進するというなら、それはそれで革命的(無茶的)には面白い。

といっても、小沢一郎が壊そうとしているもののなかに、郵便局とかはまったく入っていないんだな、これが。

いや、小沢一郎総理によって吹き飛ばされるのは、もしかして日本の「経済学派」のみなさん全員なのではなかろうか。それはそれで心地よくなくもない。

貧乏だけが正義の反対ではないのだから。