東京永久観光

【2019 輪廻転生】

醜い


虐待は最悪。テロも最悪。それは文句なく認めつつ、ではアメリカ軍等のイラク攻撃はそもそもどうなのかと問われると、人によっては「最悪だ。しかし…」と言いよどむ。そのときはおそらく、善悪というよりいわば美醜の尺度に拘っているのだろう。すなわち「戦争は、虐待やテロと同じくらい悪だが、虐待やテロと同じほどまで醜いわけではない」と。戦争には最低限のルールやマナーがあるから、ということだろう。

しかし一方で、戦争は虐待やテロと同じくらい醜い、あるいはもっと醜いという感覚もありうる。日本人を人質にして要求を突きつけた先の武装勢力の行いについても、「最悪だ。しかし…」と言いよどんだ人は皆無ではない。「アメリカ軍のイラク人への仕打ちはもっと醜い」との気持ちだろう。

イラクをめぐって国論が二分しているのには、こうした美醜センスの重大なズレが潜んでいるように思う。私はなにかと言いよどんでばかりだが、虐待もテロも誘拐も戦争もみな最低なのだからそれ以上細かく考えるのはよそう、とは思わない。どっちがより醜いのかという観点は安易に捨てるべきではない。そのうえで、対立している感覚を提示しあい我慢強くすり合わせてみることが大事だ。

それにしても、一言だけ。いかなる戦争であれ、そこにいささかでも美しさを見てしまうとしたら、それほど醜いことはない。テロや虐待と同じく、戦争が美しいなどとは口が裂けても言いたくない。テロのニュースを、私はときどき、たとえばこの電車のホームから今この人をどんと突き落とすようなものかな、というふうに想像してみる。イラクの戦争がそれと同じでない理屈はあるのか。