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長谷川眞理子さんと松尾豊さんが対談している。
『舞踏会へ向かう三人の農夫』とか『サピエンス全史』とかをブックオフの100円の棚で見つけたみたいな幸運。
金科玉条とはこのことだ(あるいは金華ハム)。イエスがムハンマドにレクチャーを受けたらこんなかんじか。
イエス「意味って何なのさ?」
ムハンマド「記号処理系がなんらかの記号(たとえば「りんご」)をもとに認知運動系を発動させると、なにかの情報(たとえばリンゴの像)が返ってくる、その返ってきた情報のことを意味と言っているんじゃないか、インシャラー」
ムハンマド「記号処理系からしたら、認知運動系とは、シミュレーターみたいなものぞよ、アッラーフ・アクバル」
松尾「人間の知能とは、社会が繰り返し体験してきた多数の知恵が、ニューラルネット的に整えられ、選択淘汰された言語として、引き継がれてきたんじゃないか」(主旨)。それを「社会的蒸留」と呼ぶそうだ。
「えっと、ですね」という口調に松尾先生の人柄の良さが現れる。私も人柄が良いのでつい言う(言葉遣いは人生苦節のニューラルネットだ)
両先生の関心の極限に「人間」があるか「知能」があるかという、微妙な差が漂ってくるのも興味深い。
しかし、そのうえで、先生同士が互いの核心のところを現在進行形で即座に学んでいるようなのが、また素晴らしい。
そうこうしているうちに、話は、人間による宇宙の理解や描像には限界がありますよね、でも人工知能はそこを軽〜く超えますよね、といったところにまで到る。なんというか、三十日間世界一周(無料期間)
宇宙とは世界とは「ほんとにオブジェクトとリレーションだけで成ってるんだろうかとずっと疑問に思ってきた」(松尾さん・主旨)
生物進化とは自己保存なのだとはいえ、人間だけは「自己保存する主体の複雑度は単調増加している」(松尾さんのレジュメより)。たしかにそう思わざるをえない。ではなにが人間の自己保存の本質かというと、<「情報とエネルギーのパターン」が自己再生産する>のだという(カーツワイル)
かように松尾さんの話はエレガントに求心的だが、それをなんとなくスルーしつつ応じる長谷川さんの話はゴージャスに遠心的。
生物は単細胞から多細胞へ器官へと「分業と協同」のユニットを複雑化してきたけど「さすがに国家という分業・協同体は1つのユニットとして立ちいかないんじゃない?」(長谷川)
松尾「けっこうぼくは、もうすぐ人は死ななくなるんじゃないかと思ってますけど」
長谷川「そういう意味で、たぶん人類は滅びるんだと思います」