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【2019 輪廻転生】

★村の家/中野重治  ★吉本隆明1968/鹿島茂

 村の家・おじさんの話・歌のわかれ (講談社文芸文庫)


食事では ありふれたものばかり食べるが、読書では めずらしいものをわりと読む。最近では、中野重治「村の家」。

なんでまた「村の家」を読んだのかというと―― 

中野重治は私の郷里福井県の出身で田んぼの中にある生家跡を訪ねた記憶もうっすらある、ということもあるが、それよりも、吉本隆明が、この小説を「転向小説の白眉」と呼んで注目していたらしいと知ったからだ。

治安維持法で投獄された中野重治共産主義運動から身を退くことを約束して1934年に出所した。この転向は戦中・戦後史の事件として語られてきたようだ(私などはほとんど関心を持たずにきたが)

ちなみに、中野重治は戦後ふたたび共産党に入り、しかも参議院議員となり、吉田茂に質問したりもしたそうだ。そしてそのまま1979年まで生きた(そうだっけ?)。あまつさえ、奥さんは原泉! ――郷里の著名人をここまで知らなかった私はどうかしている。

しかし、「村の家」の父のくどくど長い説教を読むと、私と同じ方言の人であることは明白になる。

《おまえ、考えてみてもそうじゃろがいして。人の先に立ってああのこうの言うて。機屋の五郎さんでも、わが子を殺いたんじゃけど勤めあげたがいして》 ――皆さんわかる? 舞城王太郎どころじゃない。


それはそれとして―― 

吉本隆明は「転向論」という著作でスターリニズム思想をコテンパンにこきおろすなかで、非転向の小林多喜二らをまるきり評価せず、逆に、転向した中野自身になぞらえられる「村の家」の主人公にこそ日本のインテリゲンチャの希望を見出している、という。聞き捨てならない。

これらは鹿島茂吉本隆明1968』に書いてある。私は先日これを読んだのだ。


 新版 吉本隆明1968 (平凡社ライブラリー)


同書からうかがえる吉本隆明の左翼批判はすさまじい(鹿島本人の思いにも彩られているかもしれないが)。では吉本は、共産党の連中のいったい何が許せないのか。

私が最も印象的だったところ―― 

小林多喜二宮本顕治らは純粋無国籍の「無日本人」であり、彼らは現実社会がどうあろうと初めから無関心であり、それに情動を動かされたり感情を刺激されたりすることは一切なく、自分は原則を固辞すればそれでよいのだという姿勢しかない、といった批判。

しかも吉本はこう書いているという。《個々のプロレタリアは「自分だけ」がつらさから逃れる環境をもったとき、一人でも多くそこから逃れなければならない。そういう論理によってしか個々の環境におかれたプロレタリアとプロレタリア全体とをつなぐ問題はでてこない》 やや難解だが胸を打たれた。

そして鹿島は、吉本だけは《スターリニスト的な左翼の影響力が強かった時代に、人民だとか反貧困だとか反戦だとか絶対平和主義だとかいったご大層な大義名分を並べる人に向かって「それはウソでしょう」と遠慮なく言うことのできる勇気を持ち合わせていた人》だと書いている。

さらに、《「吉本隆明はお為ごかしや偽善的なことは絶対に言わない」という非常に単純な「倫理的な信頼感」であったと断言できます。もっと、単純に言ってしまえば、「ヨシモト、ウソつかない」ということになります》(以上「あとがき」から)

こうした鹿島茂の読解は過剰にわかりやすくて面白かったが、過剰に引っ張られるのもどうかと思うので、これまでほとんど読んでいない吉本隆明の古い著作を、これを機に読もうと思ったのと同時に、中野重治「村の家」も読まなくちゃと思った次第。


http://d.hatena.ne.jp/tokyocat/20180526/p1 へ続く