戦争がこの世に絶えることがないように、信仰もこの世に絶えることがないのか。
そういう、わざわざ言ってもどうしようもないからいちいち言わないようにしていることを、むしろひたすら書いてみることにしたのが、村田沙耶香『世界99』なのだろうか?
『世界99』に際立つのは<愛情の欠如>かも。毎夜見ている他のドラマや映画のほとんどには不可欠の要素なのに。そうした語り手を設定したから当然とも言えるか。ではこの世の真実はどちらか という問いが愚直に生じる。もしや答えの正否は個人差にしかないのか?ーーわりと重大なことを思いつく。
しかしこの小説では遺伝子という実体を根拠にした<人種差別>もまた前景に出ていて、<差別>は<愛情>などで解決できる代物ではないかもと思い返す。ところで、他国への差別と自国への愛情の両方がないと、心から望んで戦争に行くことはできないのではないか。またまた重大なことを思いついた。
他国への差別、自国への愛情、どちらかがない場合、または、どちらもない場合、戦争に行かされる人は、どんな心で行くのかというと、まるで仕事でもさせられるように行くのだろう。(しかし、こんなことを言うと、まるで私は仕事に対する愛情がまるきり存在しないみたいで、まずい)
三宅香帆『娘が母を殺すには?』は、母への嫌悪を主題にした小説が増え始めたのは2008年『乳と卵』(川上未映子)あたりだと分析。それまでは理想の母が求められたと言う。そんなに時代は急転したっけと健忘症を反省。さてしかしともあれ『世界99』の母娘関係は明らかに極北まで来た。一気に。
『世界99』、第二章に入ると、独奏曲がいきなり大シンフォニーに転じた感。そうして私たちが今陥っている生活や社会の劣化コピー・激化コピーの物語がぐいぐいドライブしていき、もうやめてと泣いてもやめてくれない。第一章で随所に置かれていた地雷が次々に炸裂していることにも気がつく。
(4月4日)
『世界99』は大変なことになって上巻が終わったが、現実世界も大変なことになっている。フェイクっぽく劇場っぽくケバケバしいリアルさが似ている。「トランプ・フール」とでもいうような感じ。
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