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【2019 輪廻転生】

物理学の勉強 2024——暑く長い夏

https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/2024/08/12/000000 から続く

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高校教科書『物理』(啓林館)で「電磁誘導と電磁波」の章を読んでいて、頭が極度に疲労した。

ちょっと音楽でも聴いてリラックスするか。

 

電気と磁気はフーガのように反復するのか? 完全に対称ではないところが不思議だが。ともあれ、この演奏も物理の教科書も、暗譜していつでもスラスラ歌える(弾ける)ぐらいにしないと、身についたとは言えないのだろう。苦難。

 

「いかに楽譜にある膨大な情報をちゃんとキャッチできているかということがすごく大事です」。

物理学の教科書も同じなんだろうと思う。

では、暗譜において聴覚や触覚に当たるのは、物理学の場合、何だろう? 空間の構図や数式のイメージによる把握だろうか。

 

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(9月8日)

自転車の練習をしていて、乗れるようになったかどうかは、実際に乗れているかどうかでわかる。では物理学の勉強をしていて、理解できるようになったかどうかは、どうすればわかるのか。別の本を読んで、すいすい進めるかどうかがポイントか。転んでいるのに転んでいないと言い張っても仕方ない

 

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(9月11日)

高校の教科書『物理基礎』と『物理』(ともに啓林館)を熟読している。

これ習ったな〜と思い出すところはまったくない(文系志望だったので『物理』に相当するほうは履修もしていない)。ただテストが赤点(40点以下)になるのではという恐怖だけは何十年たってもうっすら追想できる。

それから、担当の先生が授業がのってくると、なぜか着てきたジャケットを脱ぐくせがあったのを、なぜか忘れない。ーー長い歳月が流れて私がいよいよ死ぬはめになったときも、あの遠い日の教室の午後を思い出すにちがいない。物理の孤独。

さてそんな劣等生の私が、「力って何だ?」「電気って何だ?」とひたすら読んでいると、ついふと「そもそも物理学って何だっけ?」という興味や疑問にとらわれる。これは小説などをいろいろ読んでいるうちに、ついふと「そもそも文学って何だっけ?」と考え込んでしまうのと同じだろう。

しかし、「そもそも〇〇とは?」と開き直るのは、具体的な「運動とは?」「熱とは?」の練習問題が苦手で面倒だからではないか、という反省も必要だ。「そもそも文学とは?」という問いも、この夏 松本清張の『黒い画集』とかが面白すぎて連日徹夜していたときには浮かんでくるわけがなかった。

 

それでも「そもそも物理学とは何だ」という問いは、確実な意味をもって実在すると、思い直すときもある。今回は『はじめて学ぶ物理学ーー学問として高校物理』という本がそうさせてくれている。装丁も地味で いくらでもある勉強本の1冊に見える。しかし記述の奥のほうに何か根本的な狙いがある!

私がどうしても引き込まれたのは、たとえば以下のようなくだり。

運動方程式の左辺maと右辺fは、まったく別の実体であり、これらを数学的に比較することは不可能であるが、自然の仕組みとして等しいのである。等しいことを数学的に説明することはできないが(正確には、説明を求めることがナンセンスである)、物理的な事実として等しい。あるいは、等しいことを要請する(自然の摂理として認める)。このように認める(誤解を恐れずに言えば「信じる」と言い換えてもよい)ことが、原理として採用するということである》

「そもそも物理学とは何だ?」という問いの答えがわかりました、と言いたいのではない。そうした問いの姿が、私の背後に黒い影のようであってもはっきり大きくそびえたっていると、感じるようになってくる、と言いたいのだ。

 

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勇気づけられる告白。

 

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なんと位置エネルギーだ! 

計算式はU=mgh。

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