https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/2022/08/01/000000から続く
『世界哲学史1』(古代Ⅰ)なんだかんだと読了しつつある。
哲学の祖が古代ギリシアだけに限らないなら、同じぐらい古い諸地域の思想もまた哲学たりうるのか? もしそうなら哲学とはいかなる普遍性を持つのか? ――みたいな大きな問い。必ずしもきっちり追及しないものの、各地の思想が点描される。
キーワード的に出てくるのは「世界」と「魂」。つまり「世界とは」「魂とは」といった類の問いの有無をそこに哲学があったかどうかの条件にしている感じだ。世界とか魂とか言われたら、もうそれだけで本を閉じる人も多いかもしれない。何が面白くて書いているのやらと。
しかし「世界とは何か!」「魂とは何か!」――まさにそれこそが問いたいに決まっているじゃないか。それを問わずして何を考えても仕方ないじゃないか。猛暑続きの夏に、無知で無学なこの頭が朦朧としつつも、引き込まれないわけにはいかない。そんな読者も稀にはいる。
それで今回「へ〜」と思った1つは、ソクラテスより昔に、パルメニデスが、「あらぬ」や「無」があることは不可能であり、不生不滅で単一の「ある」のみがあると主張した、という話。特別共感してしまった。(それなのに、現代のツイッターをいくらたどってもそんなことは誰もつぶやかない。何故だ?)