東京永久観光

【2019 輪廻転生】

2022 夏の宿題 スタート

夜中に目が覚め、やっぱり、ここにこうやって何かがあることが、まったく何もないわけではないことが、どうしても不思議でならない。しかも、そうした存在がわかりその不思議を思うのは、すべてこの1つの意識を介してであることもまた、不思議と言うしかない。存在の謎。意識の謎。――周知のとおり。

そして今日はっと思ったことがある。

<意識は内側のものでしかありえない!>

つまり、自分の意識を自分が外側から眺めることは実は絶対できない。それは「他人の痛みが自分の痛みには絶対ならない」のと同じだ。正確には「自分の痛みを他人の痛みのように感じることは絶対できない」ということ。

世界には80億の意識がある(人に限っても)。世界のことごとくが自分の意識から眺められ、そこにある80億の意識の1つ1つも眺められる。その1つが自分であることがじつに奇妙なのは周知のとおり。

しかし(今日のポイント)――

この1つの意識だけは内側からも眺められてしまう。つまり、この意識だけは他の意識とは決定的に違う=この意識だけは外側からだけ眺められる意識ではない。むしろこう言いたい、<この意識の外側には出られない>(自分の痛みを他人の痛みとして感じることはできない)

これまでいくつかの本を読んで、「他人の痛みを自分の痛みとして感じることは絶対できない」という指摘が、とても面白いと思ってきたわけだが、今日はむしろ「自分の痛みを他人の痛みとして感じることは絶対できないんだ〜」と改めて(あるいは初めて)気がついた、ということでした。よい週末を!