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【2019 輪廻転生】

★シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇

『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』、盛り込まれたテーマは多大で、思うところも多大で、その主要テーマではないけれど、「シンボルグラウンディング」の訓練が具体的に描かれることになっていたのが、妙にツボにはまった。

 

それにしても、『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』、すべてのカオスに「ケリをつけた」とは感じられない、あれはもう「ただやめた」んじゃないか。

 14歳の少年が葛藤を克服して成長したのではなく、ただ大人になっただけ。生きてさえいえれば誰でも大人にはなる。人類補完計画も、熟慮の末に廃棄したようにはみえず、私たちがホモデウスたりうるのかという核心の問いは、手つかずで残っている。

エディプス的な物語も、ラブコメ的な物語も、大団円というより、長い夢が続いているのに急にアラームが鳴って目が覚めた感じ。

棚田で田植えをしたり、畳の部屋でみそ汁を飲んだり、そこに帰っていけるのは私たちの幸運だけど、新しい世界・明るい未来は、妄想や悪夢でしかありえないのだろうか(そんなこともないと思う) 赤い海と赤い陸にあっても複雑な人間と社会と世界は育まれていくしかない、というふうにも思う。

それから、ボディコンシャスの「サービス、サービス」が過ぎるのは、永久中二少年仕様。

 

私はエヴァンゲリオン世界を知らず新劇場版第1作〜第3作も今年初めてオンデマンドで見たが、最も感動したのは、第1作や第2作で出てきた使徒が、いわば幾何学の図形のごとく変身していたこと。人間を超えた高度な知性のイメージを見ているように思えた。

もう1つ、エヴァンゲリオンの生態が、ドライな機械とウェット生物が融合した感じだったのも、予想外で面白かった。

それから、誕生や死滅あるいは戦闘といった出来事を、精細な具象として描きつつも、どこかでぱっと抽象的にシンボリックに切り替えて描こうとする傾向もあるようで、それも興味深いと思った。

 

ところで冒頭シーンは海外のファンに応えたのだろうか(エッフェル塔は倒れるがパリは復活する)。

海外と日本という観点からもう1つ―― 

日本のアニメは海外から大いに注目されてきた。今回の兵器や戦闘の表現もまた世界を席巻するレベルなのだろう。さてそこでふと思ったこと。この軍事表現の突出ぶりと、軍事行使が禁じられた日本の特殊な国際的位置とは、あまりにも対照的ではないか!

リアルに戦争する海外ではなく、ヴァーチャルに戦争する日本に生まれたシンジくん、ほんとによかったね。戦争ついでに言うと―― 特攻隊的な戦術を自ら望み、靖国の英霊ではないが、仲間の心のなかに英雄として生きることになった登場人物が目立つ。(それらを否定したいわけではない)

 

もう1つ、アニメ表現の観点から―― 

かつて大友克洋は日本人の顔をリアルに描いたと評された。それを別にすると一般の日本アニメの顔は古い少女漫画からの系譜で萌え絵にも引き継がれたと私は思う。綾波レイもその系譜だろうが、西洋の人や東洋の人は、レイの顔を何人の顔だと見るのだろうか?

 

1995年にテレビ放映が開始されたエヴァンゲリオン団塊ジュニア世代を中心に受容されたと思う。しかしずっと年上世代の私は、そもそもアニメに、浮世絵に萌えないのと同じく、萌えない。そんな世代だと思っている。そこのギャップは文化史的・社会史的にとても興味深いテーマだ。

 

#新劇場版エヴァンゲリオン
https://www.evangelion.co.jp/