東京永久観光

【2019 輪廻転生】

十人一色か?

人の思考は十人十色か。そりゃそうだろうと思う。ツイッターを見ていても思う。しかしそれは、タイムラインをそのように選んでいるからにすぎない。1つのニュースに反応するツイート全体を眺めると、人の思考はむしろ十人一色かという気持ちになってくる。

 

思考するのは人間だけだという前提は正しいだろう。(だからといって人間が万物の霊長だというのではない。飛翔するのは鳥であり人間ではない。糸を出すのは蜘蛛だけであり人間はできない)

思考するのは人間の尊さだと思う。飛翔するのが鳥の尊さであり糸を出すのが蜘蛛の尊さであるように。しかしながら、鳥の飛翔や蜘蛛の糸は一様であるけれど、人間の思考だけは個体ごとに多様だ。それってなんて面白いのか。ーー昨日まで私はそう確信していた。しかし違うかもしれない。

 

先日みた「岩合光昭の世界ネコ歩き」で、ブルゴーニュの猫はワイン用のぶどうの樹に登っていた。私が知っている猫はぶどうの樹には登らなかった(別の樹に登っていた)。とはいえ、猫は世界中で個体を超えて一様に樹に登るのだろう。

猫は多様な樹に登るけれども、樹に登るという行動そのものは一様だと言える。人間の思考も多様に見えるけれども、それはニュースが多様だからであり、ニュースが1つなら人間はみな一様に登る(反応する)。なんかそんなようなアナロジーを今日は思った。

 

人間の思考という特殊で複雑そうなものはさておき、では人間の感情はどうだろう。=なお、感情という用語を他の動物に当てはめる専門家はおそらくほぼいないとは思うが、しかし、感情や情動といった機構は、祖先を同じくする動物ならある程度一致しているはずだろう(それもきわめて尊いことだ)=

私が見るところ、人間の感情は人間の思考ほど多様ではない。感情そのものに多面性はあるとしても、せいぜい5つか6つの多面性だろう。その程度の多面的な感情の一様なセットを、私も君も彼もみな一様にもっている。そしてそれは祖先がそう遠くない猫も似ているだろう。私はそう思う。

体の不調や病気が、個体差が大いにありつつも、一様なセットであるとは言えるように、心の不調や病気も、個体差が大いにありつつも、一様なセットであると言えるのだろう。社会的に注目されて流行する病名は時代によって異なるけれど、一様なセットを私も君も彼もみんな隠し持っているのだと思う。

いやホントに、私も君も彼も一様に腰が痛む。私も君も彼も一様に心が萎える、心が怯える、心が怒る。

 

これは昨日の話。友人が糖尿病と言われ薬をいくつも服用しているそうだが、「糖を尿に出すという薬をもらったら血糖値がびっくりするほど下がった」と言った。

私は仕事の関連で糖尿病に多少詳しいのだが、それはSGLT2阻害薬という比較的新しい薬だ。そして、その効果の大きさと幅広さが注目されているのは知っていたが、やっぱり本当に効くのだなと妙に感心してしまった。薬というものは人間の一様な内臓に一様に効くのだ。(個人差は大いにあるにせよ)

膵臓や腎臓と同じく脳も内臓だ。だからゲノムの設計によって脳も個体を超えて一様に作られる。それは間違いない。ニューロンのセットは膨大だろうが誕生時には一様に膨大なのだろう。しかし、脳のニューロンが生み出す感情や思考は、いつかどこかで圧倒的に多様になっていく(ようにみえる)

 

とはいえ、感情や思考が十人十色に見えるのは、私たちが十人十色だからではなく、感情や思考を引き出す事象がそのつどそのつど多彩だからではないか。感情や思考がもともと多彩なのではなく、環境が多彩だからにすぎないのではないか。猫がそのつど色々な樹に登るように。十猫十樹。