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【2019 輪廻転生】

村上春樹、ロールシャッハテスト

韓国映画『バーニング』(2018年)を少し前に観た。監督は傑作ぞろいのイ・チャンドンなので大いに期待したが、私としては首をかしげたまま終わった。謎が解明せず話が決着しないなんて、まったくイ・チャンドンらしくない。

ところで、私は映画の前半あたりで「なんかこれ村上春樹っぽい」と心の中でつぶやいた。もちろん村上春樹の「納屋を焼く」が原作だが、実は私はそれをまったく知らずにみていた。映画もまだビニールハウスを焼くところまで行っていなかった。それでもそう思わせたのは、とても面白い。

 

村上春樹「納屋を焼く」はおそらく刊行時に読んだ。なんかへんな話だったという感触だけがずっと残っている。だからこのタイトルも忘れたことがない。映画のあと、「納屋を焼く」を久しぶりに読み返した。懐かしさと、「バーニング」のわからなさに答えが見つかるかもという期待とで。

しかし、答えは見つからなかった。それどころか、「納屋を焼く」は謎の解明も話の決着も「バーニング」に増して皆無だった。そりゃ「へんな話だった」という感触が何十年も残るはずだ。

村上春樹の短編には、思い起こせば、そうした放りっぱなしで終わる話が、けっこう多いと思う。むしろ、それが不満というより、なぜか、魅力の本質になっているとも言える。少なくとも私が読んだときにはそうだったのだろう。

 

しかし今回、こう思った。これはロールシャッハ・テストなのだと。

ロールシャッハ・テストは、それを見た人が何を想像するかということにすぎない。それ自体はインクのしみでしかない。意味も謎もない。それが何なのかを問うても答えはそもそもない。

村上春樹の小説はインクのしみだ。そう主張したいわけではない。多くの小説から私は実質的な問いや答えを多様に読み取った。ただ作品によってはインクのしみ的な部分も多かったのだと、今になって確信するに到った。少なくとも「納屋を焼く」は読み返しても意味ゼロ。100%ロールシャッハ

 

話はこれで終わりではない。

 

↓下に続く

https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/2021/02/12/000000

 

 ※「ロールシャッハ・テスト」は『風の歌を聴け』に出てくるのだった。忘れていた。思い出した。

(参照)↓

https://book.masatoshigoto.asia/2018-jan-11-kaze-no-uta-wo-kike/