緊急事態宣言がいかなる影響をもたらすか、よくわからない。よくわからないから、賛成と反対のどちらが正しいのか、検証するのは難しい。その代わりに、賛成の人と反対の人の顔つきや口調や党派や背景や思想ばかりを検証してしまう。そしてどこか間違っていないか、そればかりを検証してしまう。
2001年9.11では みんないろいろ考えた。2011年3.11でも みんないろいろ考えた。2021年の今もまた みんないろいろ考えている。ただ、だんだん面倒になってきたのか、結論や対立までが ひどく速くなった気がする。
(1月7日)
https://abema.tv/video/episode/89-66_s99_p2488
賀茂河の水、双六の賽、山法師、2447
あやしさも 中くらいなり おらが春(コロナも国権も)
(1月8日)
https://www.facebook.com/takao.ohki.56/posts/3859177164173859
こうした見解(上)をほとんど目にしないのが、不思議だ。こうした見解は大きく間違っているのだろうか?
https://twitter.com/search?q=%E5%A4%A7%E6%9C%A8%E9%9A%86%E7%94%9F&src=typed_query&f=live
(1月11日)
「病床の多い日本でなぜ「医療崩壊」が起きるのか 医療法が専門、東京大・米村滋人教授に聞く」
(1月19日)
日本において、新型コロナ感染によって損なわれているものの大きさ(感染者・重傷者・死亡者)と、その対策のために損なわれているものの大きさ(交友や商売や表現などの壊滅的な制限)と、どちらが大きいかということになりますが、私は一貫して、後者が前者を上回っているのと感じています。夏ごろまでもそうでしたが、現在に到っても同じです。