https://sorae.info/astronomy/20200616-extraterrestrial-life.html
「天の川銀河には高度な文明が36以上存在している可能性」(sorae 宇宙へのポータルサイト)
だれかいますか?
存在するかしないかのどちらでもないということはありえないはずなのに、それなのに、存在したとしても存在しなかったとしても、どちらであっても信じがたい。また、どちらであっても私たち自身が存在する意味は決定的に変わると思える。
ところで。「文明とは伝達である」とだれかが言ったけれど、存在をたがいに知るには伝達という行為および手段のあることが前提になる。さらにいえば、伝達のためには表象という行為および手段(私たちの場合は言語)のあることが前提になろう。きわめてリアルな話だ。
さてしかし、どんな存在かまるきりわからないそのだれかが、表象ということをするのだろうか。それはいかなる表象なのだろうか。表象があるとしたら、意識もあるのだろうか、知能はあるのだろうか。
遠くのだれかではなく、近くの犬や猫についても、意識や知能はあるのかと、いつも気になっている。でもまあ、犬や猫にはたぶん私たちに似た意識や知能があるだろうと思っている。それはどうしたってそう見えるからでもあるが、「進化的に近いから」というのが重要な根拠だ。
しかし、はるか遠くの星にいるだれかは、進化的に近いとは言えない。そうなると、もし意識や知能があっても、私たちや犬や猫の意識や知能に似ているはずだ、とは言えない。まったく想像できないような、定義をすっかり変えざるをえないような、意識や知能がそこにある可能性もある。
それでも…と考える。およそ文明があればそこに伝達がありそうに思えるように、およそ生命があればそこに意識や知能がありそうにも思える。なんでそう思うのだ? それが、地球に限らず天の川銀河にも限らずこの宇宙にも限らない、およそ世界があるかぎりの必然だからだ、ということはないか?
さてさて、意識と知能の2つだけについて書いたが、もう1つの表象はとりわけ不思議ななにかだ。なぜかというと、外部の表象(つまり言語)をはっきり操れるのは、私たちだけであり、犬や猫はそうしているようにはみえないからだ。
そうすると、遠くの星にいるだれかも、意識や知能はあっても、表象をもたないために伝達や通信もしたことがない、というケースは大いにあるのではないか。
ただしもう1つ夢想のようなことを言うと――
私たちは犬や猫と同じような意識や知能の基盤の上に表象を持つようになったと思えるが、それは地球の生物進化における出来事にすぎず、遠くの星の彼らにおいては意識や知能もなしに表象が生じ、伝達や通信すら激しく行っている、なんてことはないのだろうか?
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<6月24日>
地球外知性みたいな地球内知性。
https://twitter.com/NikkeiScience/status/1275054783771140096