東京永久観光

【2019 輪廻転生】

昆虫とロボットは何が違うんだろう

 

 ハチを食べるカマキリー こういうものを私は見たくないけど、それはライオンがキリンを食べるのを見たくないのと似ているようで違っていて、なんというかエイリアン感がいやなのだろう。ロボットが壊れても怖くないが、ロボットが壊れた中身が柔らかいと怖い、という感じか。

昆虫にはエイリアンっぽさ、言い換えれば、地球外生命っぽさをつい感じてしまうということ。これは私だけか? ロボットがエイリアンに思えないのは、人間が作った機械だと思っているからでもあるが、加えて、内部が昆虫のような柔らかい物質で埋まってはいないからだろうということ。

さらに言い換えると、カマキリやハチを潰して殺すことに、私は罪悪感をおぼえるが、カマキリ型のロボットやハチ型のロボットを潰して壊すことには、おそらく罪悪感はともなわないだろう。

この差の根本には、生命をどういうものとみなすかという感覚があり、さらには、どのような生命であれそれを殺すことは、どのような機械を壊すことともはっきり違って、どうしても良くないことなのだ、という感覚があるのだろう。

しかしその感覚はどこから来るのだろう? 機械のカマキリやハチを壊すのはかまわなくて、生命のカマキリやハチを殺すのはためらわれる、その区別はどこから?

A「機械のカマキリとハチが壊れたらもう終わりだよね。でも生命のカマキリとハチは死んでも終わりではない。人間が死んでも終わりではないように」

B「いや、ぼくはカマキリもハチも人間も死んだら終わりだと思う。機械が壊れるのと変わらない」

A「だったら君はなぜ機械と生命を区別するのさ?」

B「自分でもよくわからない。ひょっとして神様の視線を感じるからかも?」

A「どゆこと?」

B「機械と生命が違っていてほしい気持ち=神がいてほしい気持ち、なのでは?」

神なんか信じないに決まっているし、死んだら終わりに決まっているけれども、心のどこかで神を求めている?

 

(余談ながら)生物の犬と本当に同じような機械の犬を作れるのは、そうとう先だと思うが、生物のカマキリやハチと完全に同じような機械のカマキリやハチなら、今でも作れるように思う。(生物のカマキリやハチをかなり軽んじた見解ではあるが)