https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/2020/02/11/000000
↓(続く)
3月もコロナ、コロナ、コロナだった。
<2日>
https://m.facebook.com/100001305489071/posts/2726515674068589/
新型コロナの現況がよくわかる。なるほど。
以下も参考になる。
新型コロナ座談会(日経)https://www.nikkei.com/article/DGXMZO56113520X20C20A2M10800/
《最大の謎は、濃厚接触者を調査しても感染の連鎖が全然みつからないことだった。それなのに、なぜ流行するのか。1人が10~20人に感染させているようなクラスターがあるはずだ。それ以外の感染の連鎖は自然に消えていく》
そして以下がクラスター感染を防ぐポイントとのこと。 https://twitter.com/imamura_kansen/status/1234224321100382214
<3日>
新型コロナウイルス、考えてみれば、ニュースやツイートにまず感染、先にパンデミック。
これが終息し東京五輪が開催される2020年夏のほうが、むしろ空想科学小説みたいな気もする。SNSはコロナロスに陥る。
週刊コロナ予報。きょうの感染確率は? 2011年春を反復しているようでもある。
自分は結局どうにか無事で、仕事も思えば反復していて、やっぱりどうにか無事で… 感染する人生、というより、観戦する人生の、永劫回帰か?
<4日>
ひらめいた。改元しよう! 日本よ…
さようなら令和
ツイッターのフォローやリツイートは、株をいろいろ買うのと似ているか。株価と違い、タイムラインの評価は自分で値を付けるしかないが。あと、値を付けても儲かりはしない。…あまり似てないか。よいフォロワーがそろうと新型コロナ戦争を避けるのには役立つかもしれない。
<5日>
エイズウイルスの拡散をめぐって、個人ごとの性的接触者の数は正規分布ではなくベキ乗分布になると、たしか言われていたのを思い出す。つまり、この世にはケタ違いのスーパースプレッダーがいる。
しかし新型コロナの1m程度の濃厚接触者の数も、考えてみれば、そりゃ個人差が大きいよね!
「え、おまえまだ感染してないの?」「書を捨てよ、ライブへ出よう」
復活する理由(↓)
https://twitter.com/kenichiromogi/status/1235574980114411522
<6日>
賛否はあると思うが、池田信夫氏は一貫してこうした説得(下)をしている。
http://agora-web.jp/archives/2044665.html
「新型コロナに生かされない福島の教訓」
<7日>
https://toyokeizai.net/articles/-/335022
欧州は新型コロナに加えて難民危機も再来か 「最悪のタイミング」で起きた「最悪の出来事」 | ヨーロッパ(東洋経済オンライン
https://www.newsweekjapan.jp/obata/2020/03/post-42.php
「ついに日本は終わった」
《学校の一斉休校要請は99%誤りだが、これは200%誤りだ》(小幡 績)
<8日>
「新型コロナは世界にどう広がったのか? 遺伝子解析で追跡」
あるウイルスがパンデミックを起こすとしても、それは必ずその都度ある個人からある個人へと伝染していった集積だと言える。
ある思想や用語のパンデミックも、わりと、個人から個人へと伝染していった集積なのだろう。SNSを解析すれば、その拡散のルートや変異も、おどろくほど可視化できるのではないか。
生物のネットワーク(生態系というか)は遠隔へのリンクが少ないのに比べ、人間だけは言語という縦横無尽の遠隔ネットワークを行っている。あるときそれに気づいて感動したが、言語からみれば、その拡散はウイルスとほとんど似ているということになるか。要するにそれがミームか。
https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/20140116/p1
<9日>
メディアは新型コロナのことばっかりやってるが、私も新型コロナのことばっかり考えている。関心がそろそろピークアウトしそうで、しない。日々状況が推移しているからかもしれない。
それにしても、1つのテーマについて人々がこぞって多角的に長期間みっちり議論しているとも言えるので、案外いいことなのかもしれない。知識も深まっていく。去年のあいちトリエンナーレなども、これくらい議論すればよかったのだ。
<10日>
「ひきこもれないんだったら、じっとして、だまって!」ということか。「いやだよ」という人もいるか。「だったら、息しないで!」
https://twitter.com/MasuzoeYoichi/status/1237375083808559104
《自らの無策を法律の欠如のせいにしたような感じだ》
<12日>
“致死率 インフルよりはるかに高い” 米研究者 新型ウイルス (NHKニュース)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200312/k10012326881000.html
鈍感か敏感か。これがすべてを分けると言えそうだ。
私は、君は、彼は、感染するか。いつ感染するか。どれくらい重くなるか。死んでしまうか。同じく、世界の人々の何割が感染するのか。その速度。重傷化率。致死率。超過死亡率。
そしてそれらの情報と報道に、私や君や彼がどれくらい鈍感か敏感か。
たとえば今後1年間に日本で人口の1割=1千万人が感染したら。そしてその1%=10万人が亡くなっていったなら。私や君や彼は、どれほど驚愕するだろうか? 案外どれくらい平気でいられるのか?
速度が実は最大のカギなのかもしれない。遅ければべつにOKなのかもしれない。たとえ世界の全員が感染するとしても、それが10年かかるのであれば。たとえ私が命を失うとしても、それが今後100年に1度なら。
<13日>
https://twitter.com/sunasaji/status/1236843704280739842
この方の一連のツイート(上)を読むと、日本の感染者数は報告より10~20倍多いと考えられる。そうすると、新型コロナによる肺炎で死亡している人も同じく10~20倍多いと考えるしかない。
では、なぜ、その開きが、日々の暮らしの上で実感できないか?
日本で20人死亡していても200~400人死亡していても、どちらもきわめて少数だからだろう。つまり、どちらも生活規模の実感にはほど遠い。
ところが、メディアが騒がしいか穏やかかによって、私たちの気分は大きく変わる。私たちの気分を決定づけるのは、計算ではなく実感ですらなく、メディアなのだろう。
https://toyokeizai.net/articles/-/336607
驚くことが書いてある(上)
だいたいなんでこんなにするすると株価が下がるのか、なるほどバブル崩壊か、それがそもそも驚き。
というか、実はこれまでバブルだったなんて私は知らなかった。そっちのほうに100倍 驚こう。
感染症を私は何も知らないが、経済をどれほど知らないのか!
数学や物理学や哲学を知らないように、経済学を知らないことは、ずっと前から思っている。ときおり少しは勉強し最近は『スティグリッツ入門経済学』とかも読んだのだが、基礎や常識がまだわからないのだろう。かつてオイルショックのころ初めて耳にした「円高」がわからなかったほどの低レベル。
不景気とはなにかがわからないのは、たとえば心不全とはなにかわからないのと似ているし、通貨や株価がわからないのは、血圧や血糖値がわからないのと似ている、と思う。
ただ、通貨や株価について理解が深まらなくても、儲かりさえすればいいのかもしれない。血圧や血糖値について理解が深まらなくても、検査値が良くなりさえすればいいのかもしれない。
つまり、経済学がわかるより経済的に良くなるほうが大事、健康がわかるより健康になるようが大事、ということだろう。そういう人が大半だろう。しかし実は、お金がわかることも、お金が儲かることに負けず、うれしいと思う。健康がわかることも、健康になることに負けず、楽しいと思う。
なぜ今みんな株を売るのか、なぜ今みんな円を買うのか、それがわからないから、それがわかりたい。それをクリアに理解できたら、ぱっと100万円もらうくらいうれしいと思うのだが。
なお、今はたまたまバブル崩壊らしいので、そっちに関心が向くが、そもそも個人的に最もわからないのは、<国の財布は「赤字」でも、実は大丈夫なのか、そんなわけないのか>につきる。たまにいろいろ読むが、わからない。互いの論者は互いを否定しているから、なおさらわからない。
とはいえ、その問いは短期的ないし中期的には解答が出る。つまり、日本など各国の数年後や数十年後の姿を答だと思えばいいだろう。
それより、私にとって最大の謎というなら、やはり<貨幣とは何か>だと思う。これはもう、<言語とは何か>に匹敵する、深く難しくエキサイティングな謎。
<貨幣とは何か>が面白くなったのは、岩井克人『貨幣論』を読んだことが大きいが、最近、西部忠『貨幣という謎』(少し前の新書)を読んだら、同じく根本的な問いがさくっと整理されていて有益だった。あとがきにも、この本は『貨幣論』への応答だといったことも書いてあった。
西部忠さんは、かつて柄谷行人が提唱したNAMの実践運動に関わっていたと思う。当時、早稲田の大隈講堂で行われたシンポジウムみたいなものを見に行った記憶がある(下)
http://www.mayq.net/junky0107.html#010721
なんでこれを見に行ったのか。NAMで生活を立て直そうとか、ひと儲けしようとか目論んだわけではない。やっぱり、<貨幣って何だろうね>という問いが実にエキサイティングだったのだ。さてNAMはなぜ続かなかったか。それはさほど謎ではなかろう。では円やドルはなぜ続かなくないのか。それは謎だ。
ところで、さっきの<国家の財布は赤字でも大丈夫?>という問いは、日銀の国債や株式の大量購入は大丈夫? 最近だとMMT理論はありなの? という問いにほぼ等しいと思う。それを知りたいと思っていたのに、今回のバブル崩壊とやらで、ゆっくり考える世相ではなくなってしまった。
日銀の政策が立ち往生してしまうとして、それは日銀と日本政府の自業自得なのか、新型コロナというブラックスワンなのか、予測できたはずのバブル崩壊や投資家のエゴせいなのか、あまりにごちゃごちゃになって、解きほぐせない。
一方で、ヘリコプターマネーやベーシックインカムといった奇策が、まるきり絵空事でもなく語られるから、長く生きるといろいろあって面白いとしか言いようがない。おフダが降っても、おサツが降っても、米騒動が起こっても、ええじゃないか!(甲子園も米騒動で中止になったことはあるらしいし)
<14日>
考えてみると、新型コロナが出現するずっと前から、めったに出かけず人とは会わず仕事もリモート中心で、もちろん日々ネットばかりだったから、今さらべつに、平穏というか、もともと社会生活的には非常事態だったのだ! そして人新世(アントロポセン)がやってくる。
安倍晋三 ナウ。
またもや不要不急の会見か?
それぜんぶ知ってるんだけど。
とことん答えない男。
イランという国を、日本の住人が強く意識するのは、5年か10年に一回くらいじゃないか。たいていはアメリカの世界戦略における悪の国として。でもそれはイランの人にとっては不本意だろう。私がイランを初めて知ったと思ったのは、おそらくアッバス・キアロスタミの映画をみたときだろう。
ここにきて新型コロナでまたイランが気になるわけだが、それでふと思い立ち、キアロスタミの『オリーブの林をぬけて』を借りてきた。1994年の作品。
<15日>
「ピークカット戦略(集団免疫戦略)は地獄への道で舗装されている」↓
https://medium.com/@bigstone/only-containment-is-the-option-e689ba0b22ef
上記エントリーへの反論(池田信夫氏)↓
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/52039174.html
<17日>
リスクを避けたいが、ストレスも避けたい。気を緩めて楽をしよう。(仕事の話でもある)
感染と免疫のシミュレーション!(下)http://shiura.com/tmp/infection-simu.html
<19日>
《5番目の「風邪」コロナウイルスとして、人類社会に定着するのだろう》《集団免疫を獲得するまで、もしくはワクチンが開発されるまで、いかに高齢者や基礎疾患のある人たちを社会の協力のもとで守っていくか》(高山義浩)
新型コロナをめぐる激動の未経験感は、日に日に強まっている。しかしそれでも私たちの時代における最大の激変というなら、今なおインターネットの出現だろう。さらに言えば、私たちのあらゆる経験は、近代という激変の前後では、質感も意味も完全に異なる。近代が巨大すぎて当たり前すぎて気づかない。
スティーブン・ピンカー『21世紀の啓蒙』を読み始めたせいか、ちょっと大口をたたいた。
オーバーシュートを警戒 孤発例が増加 R0は1を下回るか 市民の行動変容を評価 など(新型コロナウイルス 政府の専門家会議 会見メモ)
その様子と配布文書(下)
https://live2.nicovideo.jp/watch/lv324865308
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000610566.pdf
<21日>
https://twitter.com/japandainfo/status/1241013013882097666
コロナログというよりライフログとして欲しい。ただし他人に見られたくはない...
藤沢数希さんと池田信夫さんの、ただいま進行中の議論(下)が、非常に興味深い。
https://twitter.com/kazu_fujisawa/status/1241199470311690242
今回のパンデミックで初めて知ったことはたくさんある。どれも驚くことばかり。しかし先の事実が次の事実で覆ることも繰り返されている。1つの事実だけであまりに驚いていると、その後に続く驚くべき事実を見過ごしてしまう。知ったことを大事に、しかし、次に知るべきことも大事に。そう思う。
<23日>
3連休で油断した報いは2週間後に突きつけられる。
「新型コロナの話ではない。おまえの仕事の話だ!」
<24日>
https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/covid-19-okabe-3
この方(岡部信彦さん)の応答には毎度納得する。多角的で柔軟だけれど、最終的には明瞭でちゃんと的を射ている印象。回答だけでなく質問も毎度よいと思う。
感染数や死亡数は指数関数で増えることが実感されてきた。では、私たちの驚きや怒りもそうなんだろうか? たとえば100人が死亡しているときの驚きや怒りが、その倍になるのは、200人や300人が死亡したときではなく、1000人や10000人が死亡したときなのだろうか、という(人非人的な)問い。
<25日>
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200325/k10012350171000.html
(小池知事「感染爆発の重大局面」)
悪い予感、というか、この人が緑色のフリップを掲げたこの図、あのときの悪い予感を思い出すじゃないか。3年前のトラウマ。
これ(下)
https://dot.asahi.com/print_image/index.html?photo=2017100300060_2
<26日>
小池百合子なんて、「ハーメルンの笛吹き」だったではないか。民進党の代議士がこぞって着いていき、だれも帰って来なかった。
登山を開始した朝、天気がとても良かったとしよう。朝の天気がとても良かったことを理由に「きょうはこのまま天気が良いだろう」と予測するのは、たいして賢明ではない。しかし、朝の天気がとても良かったことを理由に「きょうはいつか天気が崩れるだろう」と予測するのも、たいして賢明ではない。
https://twitter.com/Sukuitohananika/status/1242698846032953345
私は森岡さんの気持ち(上)もよくわかる。
たとえば、ある人が記憶喪失になったとき、その人がモンゴル人である確率は、その人が中国人である確率に比べ、はるかに低い。
時々刻々、新型コロナウイルスは広がっている。しかし私たちの知見も時々刻々広がっている。もちろん私たちの誤解や喧嘩も時々刻々広がっている。しかし私たちの正解や合意も広げていけばいいだろうし、実際、そうなっている。絶望するには相当早い。私たちは馬鹿だが、限りなく馬鹿ではない。
トイレットペーパーの取り付け騒ぎ、またか?
町を捨てよ、書へこもろう
<28日>
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020032600005.html
「〝動員〟を困難にしている民主主義の欠如」(木下ちがや)
コロナ太り
コロナ腰痛
新型コロナめぐっては、連日100の人が100の予測をツイートしてくるので、忙しくてしかたない、のはいいとしても、どれもこれも微妙に間違った感じで、ときには完全に間違った感じで、こうしたモヤモヤを吹き飛ばしてくれる体験があったなと……
思い出した! ダンカン・ワッツ『偶然の科学』だ。
https://www.amazon.co.jp/dp/4152092718
一言でいうと「私たちは予測が大好きで、予測ができないなどとは思ってもみず、そうとう頑張ったすえに、よしこれでとうとう予測ができたと信じ込む。しかし、予測は絶望的に難しいです」という本。
読んだときのメモがあったので、これを機に整理しながら読み直し、ブログに追記した(下)
https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/20181220/p1
ただし。この世には、予測するのにふさわしい単純な事象(たとえばバットに当たったボールがどこまで飛ぶか)と、なかなか予測できない複雑な事象(明日の株価や天気がどうなるか)とがある。さて、パンデミックの行方は単純なのか複雑なのか。そもそもこの問いを立てる必要がある。
ぼんやり考えるに―
新型コロナウイルスを、まるきり自由にさせておけば、その広がりは単純で予測しやすいのかもしれない。しかし、私たちは自粛をしたり都市を封鎖したりするので、そうした環境はあまりにも複雑なので、予測は難しくなりそうだ。
ウイルス感染は自然現象でも、パンデミックは社会現象ということだろう。
もう1つぼんやりと考える―
放射線のふるまいは、物理法則のみに従うのだろうから、この世の現象としては最も単純なのではないかと思えるのだが、それに比べると、さすがにウイルス自体も多少は複雑にふるまうのではないか。変異もあろうし、免疫の複雑さもあろうし。
それと、「タネ」と「畑」にたとえれば、新型コロナウイルスという「タネ」も変異によって多少複雑だろうが、その「タネ」が広がる「畑」のほうは、人体の個人差が大きいし、なにしろ国や地域による状況や対策の差がとんでもなく大きいようなので、結果的に感染拡大の差は巨大になる。
<29日>
「クラスター対応戦略の概要(2020 年 3 月 10 日暫定版) 」(下) 初めて読んだ。
https://www.jsph.jp/files/docments/COVID-19_031102.pdf
「クラスター」を重視する意図が私はもうひとつわからなかったのだが、これを読むと「一度に大勢が感染する事象」という意味でもあり「一度に大勢に感染させる人物」という意味でもある、と思われる。どちらかというと後者が重要だと思われる。
それともう1つ。見つかったクラスターへの対処ではなく、見えていないクラスターの探査こそが(少なくとも3月10日の時点では)「クラスター戦略」なのだと思われる。この点もよくわかっていなかった。
そして、「見えていないクラスターの探査」とは「孤発例を結ぶリンクを探す」こととイコールになると思われる。これもそう言われればなるほどと思うが、はっきりわかっていなかった。《孤発例はどこかに隠れたリンクがあり、クラスターの一部を形成していると考えて調査を進める必要がある》
さらにもう1つ。集団感染を起こしうる人物(スーパースプレッダーのことだと思われる)がいるだけでは、集団感染は起こらない。また、集団感染が起こりうる場所があるだけでは、集団感染は起こらない。2つの条件が重ならないと集団感染は起こらない。そのように理解できると思う。
「そうか、だったら、いたずらに心配しなくていいじゃないか」。そうかもしれない。感染者が少ないならば、2つの条件が重なる偶然はさらに少ないだろう。しかし、感染者が思いがけず非常に多いならば、2つの条件が重なる偶然は思いがけず多くなる。
さて今日の時点で、見えていない集団感染は、どれくらいなのか。それは「多い」と言うべきか「少ない」と言うべきか。「もちこたえているか」どうかとは、ひとえにそれだと思えばいいのだろう。言い換えれば、孤発例が日数とともに増えているかどうか、だと思われる。
なお、上の戦略でも警告されている大規模集会はなぜ危険なのだろう。小規模集会だってそれなりにまずいのに大規模集会だけがことさらまずいのか? それをこの前から考えていたので、ついでに書いておく。
ある500人の集団に感染者が1人いたとする。その500人が披露宴やライブに集まるとする。そのとき、50人ずつが10会場に別れて集まった場合(A)と、500人が1会場に集まった場合(B)を比較する。(A)では感染する人が50人以上には達しえないが、(B)では500人にまで達しうる。
(A)と(B)のリスクの差は、当たり前のようで、じつは直感を超えて非常に大きいのではないか。私は初めてそう思った。
それともう1つ、これで思ったこと。感染数が500人に1人程度と少ない段階なら、50人ずつ10会場に分かれることには予防の意味があるが、感染者が50人に1人程度に増えてしまったら、50人ずつ10会場に分かれて集まろうが、500人が1会場に集まろうが、予測される全体の感染者数は同じくらいになってしまう(と思う)
「ドイツ、イタリア重症者受け入れ」https://this.kiji.is/616622088771372129
《居委会は、中国という国の「いざ」という時の底力、権力体制のすさまじさを、まざまざと見せつけた》
https://wisdom.nec.com/ja/series/tanaka/2020032601/index.html
中国の近隣社会の実情がかいまみえるレポート。
<30日>
日本で増えてきたのはたしかに驚きなのだが、とはいえ、言うほど増えていないことはもっと驚きかも。なぜだよ?
神が存在しないほうに賭けるより、存在するほうに賭けたほうが、得だと言われる。存在しないことが判明して賭けに負けたとしても、もはや失うものは何もないからだ、と言う。え〜と、今回の場合は…
「日本も3週間後、地獄を見る」(谷本 真由美)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/71456
神戸は地獄だったと思う。東北も地獄だったと思う。シリアなんてもっとずっと地獄だったと思う(私はほとんど無視してきたけれど)。今回も地獄が待っているのかもしれない。今度こそ私の地獄かもしれないが、やっぱり神戸や東北やシリアの地獄と同じく他人の地獄にすぎないかもしれない。なぜか。
なぜなら、地獄はだれもが一度しか遭遇できないからだ。見学なら何回も何十回もできる。今回はどっちか?
実はきょう仕事のゴールが1つ延期になったのであった。われもまたコロナ時代の生き証人なり。というか、それによるオーバーシュートのほうが心配になってきた。どこかで業務爆発が起こる計算!
小池知事がこのあと業務爆発の火をつける?
新型コロナ急拡大で小池都知事の言う「首都封鎖」は本当に必要か(米山隆一)
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020032900001.html
《功名心にかられた政治的リーダーによって、それが不可避とは言えない状況であるにもかかわらず、さしたる準備も覚悟も無いまま、この究極の捨て身の戦術がとられてしまう可能性は、ゼロではありません》
<31日>
キャバレー、ナイトクラブ、バー、酒場。
家族的類似性?
https://www.youtube.com/watch?v=NQcbVTCsvDk
(西浦教授が都知事とともに会見)
クラスター対策というものが、だんだんわかってきた。
https://live2.nicovideo.jp/watch/lv324552468
小林よしのり×三浦瑠麗×東浩紀「ニッポンの保守ーー2020年桜の陣」
事態宣言気分のオーバーシュート(私や私たちの)に対する数少ないワクチンの1つとして、きっと有効。