https://tokyocat.hatenadiary.jp/entry/2020/01/11/124640 (上から続く)
ジョセフ・ヘンリック『文化がヒトを進化させた』はほぼ読み終えている。
そもそも… かつて人類が他の動物と似たものだったこと、そして進化という原理でこうなったことは、自明なのだが、それにしても、今の私たちが他の動物とあまりにもかけ離れていることも自明なのであり、じゃあ一体何がどうやってこうなったのかというステップが、正直イメージしようがない。
恐竜に羽根が生えてきて鳥になったり、海の動物が陸に上がってきたり、というステップならイメージしやすい。しかし現在の人類が為していることは、他の動物と比べてあまりにも高度であって、そうした単純なジャンプでは説明できない・還元しがたいように、やっぱり感じてしまうということ。
この本は、そんなありえないようなプロセスが、なるほどこのようにしてならありえたかもしれないという理解を、もたらす一冊だったと言える。たぶん私にとっては初めてのことだ。
どのようにしてかというなら… 一言でまとめてしまえば、広い意味での文化という環境が、自然の環境と同じように淘汰圧として働き、そこで何らかの遺伝子変異が有利になって進化をもたらし、それが循環して累積して、ということになろう。
なお、文化による進化をイメージするとき、私たちの心理や行動への影響のほうは、むしろ納得しやすいが、この本は、私たちの身体や生理への影響もまた、広く具体的に指摘しており、私にとってはそちらのほうが空前の発見と驚きだった。
この本が文化として括る中身は相当幅が広く、具体的に示さないと本の紹介にはならないが、ともあれ、その際立った特性を理解するには、「規範」「模倣」「名声」などがキーワードになる。私たちが周りに合わせたり決まりを守ったりせずにはいられないのは、進化に伴う本能というべきことになる。
一方、ヘンリックは、ヒトを知能という点ではたいして注目しない。これはかなり意外なのだが、その裏付けを知ると、なるほどという納得と落胆が、やってくる。
また、言語については1章を使って扱っている。言語学者の多くは、言語は初期から現在と同じ複雑さをもち、地域差(言語間の差)もないと考えるようだが、ヘンリックは反対の主張をするのが、新鮮だった。言語も文化的に累積して変化してきたとみるのだ。
そして、いろいろあって、最終的にヘンリックは、以下のよう見方を明示する!
《細胞の集合体だったものが一個の生命体へと変化と遂げたように、文化に駆動された遺伝的進化によって、ヒト社会はだんだんと超生命体のようなものに変化を遂げつつあるようだ》
文化による進化なんて、他のあらゆる生物とはまるきり異なるタイプの進化だけど、考えてみれば、すでに地球上では単細胞から多細胞へという同じくまるきり異なる大胆な進化がすでに生じたのだから、同じことだよね、ということになろう。大変な視点であるし、大変な事実でもあろう。
もう1つ述べておく。私たちが死なずに生きられるのは、そして他の動物よりはるかに良く生きられるのは、ひとえに無数の知識と技術のおかげだが、それらは私が身につけて生まれてきたわけでも、私が見つけ出したわけでもなく、ほぼすべて先人たちから蓄積されてきたものだ。
さらに、そうした知識や技術は、ほぼすべて大規模な集団が協力し分業することで初めて効力をもつ。ヒトという動物は個人の本能や学習だけでは何もやれない。誰も一人ではこの世界を運用できない。理解すらできない。これは当たり前すぎる事実だが、その自覚が小さすぎたことをこの本で思い知った。
さて、ここから引き出せる最良の結論は何だろう。私たちに神がいないなら、私たちがこれほど素晴らしい理由を説明できない。これは私には最大の謎だった。しかし、今はこう考えることができる。
私たちがこれほど素晴らしいのは、私たちみんなが、古今東西の人類が総力をあげて織り上げてきた果実が、そしてその事実が、神に代わるほど特別なことだからだ。この世に尊いものなどないという考えもあろう。しかしこの世に尊いものがあるならば、人類は尊い。
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